铃木夫人:奈良と京都のご旅行はいかがでしたか。お楽しみいただけましたかしら。
ジョーンズ夫人;ええ、とても素晴らしいかったですわ。奥様のアドバイスのおかげで、日本の歴史と文化を満吃させていただきましたわ。
ジョーンズ氏:私には飞鸟地方、とくに法隆寺がとても印象深かったですよ。世界一古い木造建筑なんだろう出すね。
铃木氏:そうです。现在残っているものは7世纪末顷の建筑ですから、およそ、1,300年くらい昔のものです。
ジョーンズ氏:法隆寺を建てたのは圣徳太子だという説明でしたが、太子はそうとう热心な仏教信者だったんですね。
ジョーンズ氏:私は飞鸟が仏教文化の中心になったんです。太子は死後、「大化改新」という政治改革が起こりました。その後日本にはじめて法事国家ができました。一般农民は国から土地を与えられて、その代わり一定の税金を纳め、国防にも携る事になったのです。
ジョーンズ氏:それはいつごろになりますか
铃木氏:7世纪の半ばごろです。
ジョーンズ氏:奈良に都ができたのは、その後ですね。
铃木:そのとおりです。8世纪のはじめです。
ジョーンズ夫人:奈良では、私ども东大寺の大仏を见てきました。大きいのにびっくりしましたね。
铃木夫人:完成したのは8世纪の半ばです。あれは世界最大の木造建筑です。幅57.3m、奥意気50.4m,高さ48.6mあります。あれだけのmのを作るというのは、同时としては大事业だったとおもいますよ。
ジョーンズ氏:それにならでは薬师寺の三重塔がとくに気に入りました。唐招提寺もよかったですよ。仏像では兴福寺の阿修罗像が大好きになりました。
铃木氏:京都はいかがでしたか。
ジョーンズ夫人:京都もとっても素晴らしかったですわ。京都が都になったのは、いつですか。
铃木夫人:八世纪の终わりなんです。そのごろは「平安京」と呼ばれました。京都は、东京が都になった19世纪の半ば过ぎまで、日本の都だったんです。
ジョーンズ夫人:では、1,000年以上も都だったというわけですね。
铃木氏:そうなんです。八世纪の终わり顷から、贵族は富と権力を握り、この上に新しい华やかな平安文化が创られたんです。それまでの中国の影响から抜け出して、
次第に新しいスタイルの衣服や调度品を作り始めました。着物、障子、屏风などに见られる,今日「日本府」と呼ばれる様子がこの顷できたんです。
ジョーンズ夫人:同时の贵族はどんな衣服を着ていたのですか。
铃木夫人:奥様、先日、雏人形をご覧になったでしょう。
ジョーンズ夫人;ええ。
铃木夫人;同时の贵族の正装はちょうどあれに似たものだったんです。
铃木氏:宇治の平等院をごらんになったでしょう。
ジョーンズ夫人:ええ、とても素晴らしかったですわあ。
铃木氏:あれがこの平安贵族の时代のものなのです。ほら、日本に10円铜货に乗っていますよ。そのうちに贵族に护卫や治安维持に当たっていた武士が台头してくるんです。
ジョーンズ氏:それは何世纪ごろなんですか。
铃木氏:だいたい十世纪の顷です。11世纪の後半から一时期天皇家がふたたび政治の実権を握りますが、だんだん武士の力が强くなります。12世纪になって、とうとう武士が政権を握って、鎌仓に幕府ができます。でも、御所は京都に残ったままでした。
ジョーンズ夫人:鎌仓にはこの前行ってきました。あそこにも大仏がありますね。
铃木夫人:そうですね。あれは13世纪にできたんです。鎌仓时代も仏教へ大変盛んで、禅寺がとくに栄えたんです
铃木氏:その後、武士を中心にした政権もはじめは鎌仓、後には京都へといくつか変わりました。その间、14世纪には金阁寺が京都に完成しました。
ジョーンズ氏:金阁寺は华丽で,素晴らしいですね。
铃木氏:15世纪には银阁寺、龙安寺などの有名な寺院ができました。
ジョーンズ氏:いやあ龙安寺の石庭は印象深かったですよ。
铃木氏:14世纪から16世纪の顷は、日本は政治的に不安定な时代でしたが、仏教文化は生きていたんです。茶の汤や生け花など、日本伝统文化もこの顷基础ができました。そして16世纪の终わりに形式が大成したのです。15世纪からは各地の大名が権力を握った「戦国时代」に入ります。16世纪の半场には、ポルトガル人によって鉄炮とキリスト教が伝えられました。
ジョーンズ氏:その顷のヨーロッパは探検の时代ですね。
铃木氏:そのとおりです。この顷ふたたび日本は统一されました。この事业は织田信
长によって始められ、豊臣秀吉二よって16世纪の终わりに完成されました。
ジョーンズ氏;それは大阪に入ったとき闻いた名前ですね。とすると、その顷大阪城がでじゅたんでしょう。
铃木氏:そうです。そして、17只のはじめに徳川家康が政治の実権を握りました。こうして江戸幕府の时代に入るんです。