作家の藤沢周平さんが亡くなって10年になる。評価は高まるばかりだ。藤沢さんの業界紙時代の仲間にも作家を目指していた人がいた。埼玉県所沢市の竹田亮一郎さん(73)もその一人である
作家藤沢周平已经去世10年。对他的评价却越来越高。藤沢在业界报社工作期间,有些同事也想当作家。埼玉県所沢市的竹田亮一郎(73岁)便是其中之一。
藤沢さんに2年遅れて同じ業界紙に入り、別の業界紙に移ってからも交流が続いた。30代、40代は日曜も正月も家にこもり、文学雑誌の新人賞に応募する作品を書き続けた。子供を連れて行楽地に行くことも、ほとんどなかった
竹田比藤沢迟2年进入同一个業界报社,调任另一个業界报社之后,仍然和藤沢保持联系。三十岁、四十岁的时候,他连周日和春节也蜗居家中,坚持进行文学雑誌新人奖应征作品的创作。也几乎未曾带过孩子到风景区游玩。
何作かは2次予選を通過した。3次予選を通った作品もある。しかし最終候補までは届かなかった。すでに有名になっていた藤沢さんも「最終候補との差はほとんどないのですから、もうひとふんばりしてください」などとはがきで激励した
他的作品中有几篇通过了二轮预选,也有通过三轮预选的,但是,都没有入围最终候补作品。甚至连当时已经颇有名气的藤沢也寄来明信片为他鼓劲:“几乎和最终候补作品没什么两样了,再加一把劲啊!”
50歳で最後の挑戦をする。勤めも辞めて一作を書き上げたが、これも2次予選の通過までだった。家族のことも考え、小説をあきらめた。酒が少々過ぎたことと藤沢さんのような粘りが不足していたことが反省点だと振り返る
50岁时决定做最后一次挑战。工作也辞掉了,完成了一部,但仍只是通过了二轮预选而已。当然,也考虑到家庭的问题,终于对小说断了念头。他事后回顾,认为饮酒有些过量以及藤沢似的耐心不足是他应该反省的两个地方。
その後は60代前半まで雑誌の編集長として働いた。7年前には、所沢市制50周年を記念して地元の童謡の会が市民から募集した童謡の歌詞に応募し、最優秀作に選ばれた。曲がつけられ歌い継がれている
之后,65岁之前,他担任杂志的总编。7年前,为纪念所沢市建市50周年,当地童谣协会向市民征集童謡歌詞,他应征参赛,并入围最优秀作品。歌词被谱上曲子,传唱至今。
今は病気リハビリ中だが、竹田さんの半生も、藤沢さんと変わらない、いちずな歩みである。
现在,竹田正在生病康复中,和藤沢一样,他的前半生仍是步伐坚定的前半生。