丹念に拾い集めたつもりなのに、足の裏でぐしゃりと音がした。節分の夜にまいた豆がしばらくは家のあちらこちらに残っているのは毎年のことで、暦の春はいつも足の裏から訪れる
本想捡得仔细点,但仍听见脚下啪嚓啪嚓地响着。每年,立春前夕撒下的豆子,有好一阵子,仍会留在家里的每个角落,日历上的春天总是先从足下来访。
豆まきは鬼に豆を数えさせ、視力を衰えさせる儀式であると、博物学者の南方熊楠(みなかた?くまぐす)が「十二支考」に書いていた。まいた後は攻守ところを変え、人間さまが拾うのに目を凝らし、少しばかり鬼の気分を味わうらしい
“撒豆子”是让鬼怪计数豆粒,令其视力衰退的一种仪式。——博物学者南方熊楠在《十二支考》中写道。但豆子撒落后,攻防便易位了,这下轮到撒豆人要聚精会神地把豆子捡起,稍稍体验一下做鬼的感觉。
政治家、政党にとって鬼より怖いのは有権者である。じっと見つめられては困るもの、そっと隠しておきたいものがあれば、有権者の目をくらまし、視力を消耗させるために、豆をまくこともあるだろう
对政治家和政党而言,比鬼还可怕的是选民。若有窥视不得、想要悄悄隐瞒的东西,他们有时也会撒些豆子,以蒙蔽选民的眼睛,耗其视力吧。
柳沢伯夫厚生労働相の述べた「産む機械」、それ自体は弁護の余地のない、紛れもない暴言だが、永田町から連日飛来する大量の“柳沢豆”を身に浴びていると、「見られて困るものが、ほかにお有りですか」と尋ねたくもなる
厚生労働大臣柳沢伯夫所说的“生育机器”,其本身就是没有辩解余地、事实确凿的粗言狂语,但是,每当被永田町连日来撒出的大量“柳沢豆”打在身上时,就不由得产生了一个疑问:“(永田町)是否另有见不得人的事情?”。
政治資金の処理で脛(すね)に傷をもつ政治家は、世間の目が柳沢氏に集中し、ほっとしているだろう。勉強不足から感情に走った対米批判を口にし、日米関係をぎくしゃくさせた安全保障担当閣僚なども、安堵(あんど)組に違いない
人们的注意力都集中在柳沢身上,因此,政治資金处理问题上心怀鬼胎的政治家应是长长地吁了一口气了吧。把由知识浅薄到偏重感情的对美批判挂在嘴上,使日美关系受阻的负责安全保障的大臣之流的,也一定属于“放心一族”了。
まかれた豆はきちんと数える。同時に、それのみに視線を消耗させぬよう、用心は怠るまい。足の裏を払いつつ、目薬を差す春である。
撒落的豆子,要好好地计数。同时,不要麻痹大意,以免把视力全部消耗在豆子上。这是一个需要一边赶开脚下豆子,一边滴滴眼药水的春天。