「おっしゃられた」という言い方はひんぱんに耳にするけれども、「いらっしゃられた・召し上がられた」というのはそれほど聞かない。「二重敬語」であるという点では同じなのに、これはなぜだろうか。
经常听到“おっしゃられた”的说法,却很少听到“いっらしゃられた、召し上がられた”。照理说都是所谓的“双重敬语”,为什么会有这种差异呢?
「おっしゃられる」を使う人は「いらっしゃられる」も使うかというと、必ずしもそうではない。どうも、それぞれの動詞ごとに違いがありそうだ。インターネット上での用例数を、検索エンジンGoogleで調べてみた。「そんなことをおっしゃられても困ります」という言い方は二重敬語ではなく「尊敬+迷惑の受け身」の正しい表現なのだが、ここではひとまずおいておこう。
会用“おっしゃられる”的人并不一定会用“いらっしゃられる”,貌似各个动词都有着差异。我就此利用网络搜索引擎Google搜索了互联网上的使用量,“そんなことをおっしゃられても困ります(就算您说到这个份上,我也还是很难办啊)”的说法不是双重敬语,而是正确表达了“尊敬+为难的被动式”,这里就先将其抛开。
「誤」”おっしゃられる”:40,800件
「正」”おっしゃる”:629,000件
→「誤」÷「正」=6.5%
「誤」”いらっしゃられる”:5,170件
「正」”いらっしゃる”:1,050,000件
→「誤」÷「正」=0.5%
「誤」”召し上がられる”:551件
「正」”召し上がる”:74,900件
→「誤」÷「正」=0.7%
(错)“おっしゃられる”:40,800例
(对)“おっしゃる”:629,000例
→(错)÷(对)=6.5%
(错)“いらっしゃられる”:5,179例
(对)“いらっしゃる”:1,050,000例
→(错)÷(对)=0.5%
(错)“召し上がられる”:551例
(对)“召し上がる”:74.900例
→(错)÷(对)=0.7%
「おっしゃられる」という「二重敬語表現の発生率(「誤」÷「正」)」は、ざっと見積もって、「いらっしゃられる・召し上がられる」の10倍程度だと言える。この件数の中に先ほどの「尊敬+迷惑の受け身」あるいは「尊敬+可能」などの例の入っているかもしれないが、大勢に影響はないだろう。「おっしゃられる」のほうが多いという予想が当たっていたようで、ちょっとうれしかった。
粗略估算“おっしゃられる的双重敬语发生率{(错)÷(对)}”可以说约为“いらっしゃられる、召し上がられる”的10倍。这些例子中尽管也包含了先前举出的表示“尊敬+为难的被动式”或“尊敬+可能”的,但并不影响大致趋势。与我之前“おっしゃられる”的用法较多的猜测相吻合,让我挺高兴。
これはいったいどういうことか。二重敬語表現を使う人は、その単品の尊敬語だけでは「敬意」が足りないと考えるために、追加トッピングを施すのだろう。だとすると、「いらっしゃる・召し上がる」は単独で敬意が十分だけれども、「おっしゃる」はそれだけではやや敬意が低い(と思われている)、となるのではないだろうか。同じ尊敬語でも、敬意の濃淡があるのだ。
这到底是怎么一回事?使用双重敬语的人大概觉得单一敬语不足以表明自己的“敬意”,于是再加一重。这样一来,就是说“いらっしゃる、召し上がる”单独用已能充分表达敬意,而“おっしゃる”单独用就感觉敬意不足(人们觉得)。也就是说同样是敬语,但依然有敬意的强弱。
言語の一般的な傾向として、「ことばが長くなればなるほど敬意が強くなる」ということがある。「おっしゃる」は4拍で、「いらっしゃる・召し上がる」といった5拍のことばが持つような「いかめしさ」が足りないのかもしれない。
作为语言的通常倾向,会认为“词语越长所表达的敬意越强”,“おっしゃる”是4拍,可能就不如“いらっしゃる、召し上がる”等5拍词所具有的“庄重”吧。
ところで、最近他人の「おっしゃる」ことに耳を傾けない人が増えているように感じられるのも、「おっしゃる」ということば自体が軽くなってしまっているからだろうか。
话说回来,感觉近来不愿倾听他人“おっしゃる(说)”的在人在增加,可能是因为“おっしゃる”这个词本身越来越没有分量了吧!