まず母を奪われた。父朴正熙(パクチョンヒ)大統領を狙った銃弾だった。留学先のフランスから戻り、ファーストレディー役を担ったのが22歳。5年後、父も側近に射殺される。韓国初の女性大統領となる朴槿恵(パククネ)さん(60)は、悲憤で心を研ぐように強くなった
先是被一颗瞄准了父亲朴正熙总统的子弹夺去了母亲。从留学的法国回来,并担任起第一女士的职责时,她年方22岁。5年后,父亲也遭到了亲信的枪杀。韩国第一位女性总统朴槿惠女士(60岁)的心志由于悲愤的磨砺而格外坚强。
野党党首だった6年前、選挙応援中に右ほおを11センチ切り裂かれた。5ミリ深ければ動脈に達し、即死していたとされる。両親をテロで失い、自らも傷痕を背負う指導者は、荒れ放題の途上国でさえまれだ
6年前,还是在野党党首的她在支持竞选的过程中右面颊被豁开了一个长达11厘米的口子,如果再深5毫米便会因刺破动脉而猝死。即便是在风云变幻的发展中国家,这么一位曾经因恐怖事件而失去了双亲,自己又负有伤痕的领导人也极为罕见。
「まだ私にやることが残っているから(天は)命を残したのだろうと考えると、失うものも欲しいものもないという気持ちがおのずとわいてきた」。自伝『絶望は私を鍛え、希望は私を動かす』(横川まみ訳、晩聲(ばんせい)社)にある
“老天爷可能考虑到还有要我做的事,所以留下了我的性命。一想到这些,便自然而然地感到,自己并没有失去什么,也没有任何欲求。”这段话出自她的那本自传《绝望锤炼了我,希望鼓舞了我》(横川玛咪译,晚馨社出版)。
父の時代は、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる経済成長で再評価されている。娘は選挙中、軍政に虐げられた民主化運動の関係者にわびた。韓国版「三丁目の夕日」を慈しむ中高年の支持が勝因となった
父亲的时代因被称为“汉江奇迹”的经济增长而再一次被高度评价。女儿在竞选过程中向那些曾经遭到军政府迫害的民主化运动相关人员表示了道歉。胜因之一,是她获得了那些善待韩国版“三丁目夕阳”的中老年人的支持。
血に染まる肉親の着衣をすすぎながら、「一生分の涙」を流したその人が青瓦台(チョンワデ)に還る。少女期から15年を過ごした大統領府、悲しみの地。父の暗殺を急報する高官には、北からの侵攻がないかをまず問うたという。「国と結婚して」独身を通す彼女は、どうやら筋金入りの愛国者らしい
在洗涤亲人血迹斑斑衣物的同时,已经流尽了“一生的眼泪”的她又回到了青瓦台。这是一座在其少女时代生活了15年的总统府,是一个充满悲愤的地方。听说,对于急匆匆告知其父遭暗杀消息的高官,她首先询问的是北方有没有入侵?“与国家结婚”,至今仍单身的她更是一位铮铮铁骨的爱国者。
親の威光もあろうが、有数の男社会で選ばれた女性である。対立候補より親日だとしても、甘い友ではなさそうだ。幸か不幸か我が方には、これだけ泣いてきた政治家はいない。
或许父亲威严的光环效应也有起到了一定的作用,可她毕竟是在男性社会中被推选出来的屈指可数的女性。即使被认为相比竞选对手她比较亲日,可也并非是个性情温顺的朋友。无论是有幸还是不幸,至今还没有过这么一位如此伤心落泪的政治家。