今回は通訳というお仕事についての辛口トークを。お気に触ることをいうかもしれませんが、ちょっとストレスたまり気味なのでお許しくださいね。愛しい皆様。
今儿个我要针对翻译这活来场犀利演说。有情绪发泄成分在内,可能会伤到您,各位亲爱的,还请见谅哟。
さて。通訳というお仕事は、常に「(女子諸君の)なりたい職業トップ10」にランクインする人気の職業のようです。かく言うわたくしも、小さい頃からの夢は通訳になることでした。まさかイタリア語の通訳になるとは思っていませんでしたが、まあこれもある種の運命というかなんというか。っていうか日本人はやっぱりバイリンガルという人種に対する憧れがあるしね。
且说翻译这工作,那是相当热门,据说它是“(女同胞们)理想职业TOP 10”排行榜的常客。就连说出这番话的我,也是从小就梦想要当一名翻译。只是,没想到自己居然成了意大利语翻译,不过这也算是一种命运吧。话说回来,日本人果然还是对双语人才有所向往啊。
しかぁし。通訳というのは、言葉が出来りゃいいって物ではありません。言葉だけでいいなら、自動翻訳機があればすむことだしね。特に、商談という場においては、言語学とはまったく別の種類の才能が必要なのです。いや、もちろん語学力だけで乗り切っている人たちというのもいるのでしょうし、相応の語学力がなくては話にならないことはもちろんですが、誰かの言っている言葉をそのまま翻訳するだけではどうにもならないことというのが存在するのです。
但是,翻译这事儿可不是会点语言就能做的。要是只需要语言,有自动翻译机就够了。特别是在商业谈判的时候,你还需要具备完全有别于语言学的才能。当然,也有只靠语言能力就搞定的人,没有相应的语言能力肯定是不行的,可也不是将别人说的话原原本本翻译过去就能了事的。
というのは、だってさあ、文化が違うわけよ。まったく。ビジネスのやり方も、同じ意味の台詞を言ったときの印象も、なにもかも。必要なのは言語の通訳ではなく、文化の通訳です。そして、これは思っているよりも、ものすごーく難しいことなのです。
我的意思是,文化之间是有差异的,很大程度上。不管是工作方式,还是含义相同的话说出口后给人留下的印象,方方面面都如此。这时候需要的就是对文化的翻译,而不是单纯的语言翻译。而这点也比你想象的要难的多。
たとえば、日本語でしゃべっていても、すれ違うときってあるでしょ?そして、たとえば三人で話しているときにAさんの言ったことをBさんが間違って理解して、会話がすれ違ったとするでしょ?それを聞いていて、直接その会話には加わっていなかったCさんは、Aさんの意図した意味もわかるし、Bさんが間違って理解したこともわかったりするときってあるじゃん?通訳というのは常にその状態にあると思いねえ。
举个例子,光是用日语来对话,也有意思理解岔了的时候对吧?比如三个人在对话,B误解了A的话,然后对话发生了分歧,而没有参与到其中的旁观者C既理解了A想表达的意思,也能明白为什么B误解了,会有这样的情况不是么。我觉得这就是翻译经常会遇见的。
日本人の文化からみて、何の間違いもないことを、日本人が言ったとします。でもそれはイタリア人の文化からしたらまったくもって理解できないことだったりする。通訳である人は、その両方を理解して、しかしこれはどう説明しても分かり合えない永遠の溝だということすら、理解してしまうわけです。
假设,日本人说了一些话,从日本人的文化角度来看,是没有任何问题的。但是按照意大利人的观念来看,却完全无法理解。此时译者就需要做到理解双方,即便是不管怎么说都无法相互理解的永远的文化隔阂,也要去理解。
これは結構、辛いことよ。
这事儿,不容易啊。
どんなことでもそうですが、「ほかの人がわからないことがわかってしまう」というのは悲劇ですよね。陳腐な意味で「この映画を理解できるのは俺様だけだ!」といっている人もいますが、そういうことではなくて、何かを理解するキャパが大きいということは、それだけ自分が理解されないこともわかっているということです。「象」という生き物を知らない人に、説明することは可能でしょう。「鼻が長くて、耳が大きくて、人間を10人乗せてもおつりが来るくらい大きな生き物で、くすんだ灰色で、目が優しくて、牙が生えていて 」など。でも多分どんなに説明しても、説明されたあいては「象」という生き物を完全に理解することは出来ないし、そしてそれを説明しているほうも、「わかりっこない」ということもわかっている。
不管在什么情况下,“理解了别人无法理解的东西”都可以说是个杯具吧。用这话举个老套点的例子就是,有人说“只有哥看懂了这电影”,不过这里并非此意,而是,对某些事物理解能力越强,同时也就代表了自己多么的不被一般人所理解。我们可以跟不知道“大象”为何物的人这样去介绍大象,“鼻子长长的,耳朵大大的,体积庞大到身上坐十个人还绰绰有余的一种生物,肤色是暗淡的灰色,眼神温柔,长着牙齿……”。但是不管你如何去说明,对方都不一定能完全理解,而介绍的这一方心里也清楚这一点。
でも通訳はお仕事だから、それを何とか取りまとめなきゃならないわけです。しかも双方向で!!
不过既然你靠翻译吃饭,就需要想办法把事情给解决了,并且两方面都要顾及!!
日本人には日本人にわかるような説明を、イタリア人にはイタリア人にわかるような説明をしなきゃならない、しかもどちらにも失礼がないように、そして出来れば商談がうまくとりまとまるように。しかも、アドリブで。
面向日本人就要用日本人能理解的表达方式,面对意大利人则要用意大利人能理解的表达方式,而且对双方都不能失礼,然后尽量使谈判顺利进行,还要会随机应变。
そしてそのとんでもなくめんどくさい努力をして説明したり、理解させたりしているということを、たいていの場合、日本人 イタリア人のどちらも、わかってくれない。
然而,花如此大的功夫去向日本人亦或是意大利人翻译解说,帮助他们理解,大部分时候换来的却不是认同。
象の例を続ければ、よしんば、その説明に成功したとしましょう。というか、成功させないことには仕事になりません。でもその成功した時点で、それをわからせてもらった人たちは、「なんだ、簡単なことじゃん。」と思っちゃうわけよ 仕方ないんだけど。
继续之前大象的例子,假设解说成功了。退一步说,不使其成功就算不上是工作了。但是在成功的那一刻,听懂的那一方会觉得:“什么嘛,解说这事儿不是挺简单的嘛。”……这也是没办法的。
わたくしはこれを勝手に「神の孤独」と呼んでおります。
恕我擅自将这种情况称之为“神的孤独”。
全知全能の神様は、全知全能であるがゆえに、誰にも理解してもらえない。そして、誰にも理解してもらえないことを知っているから、神様は最も孤独です。
万能的神灵正是因为无所不知无所不能,才会不为任何人所理解,也正是因为只有他知道那些常人无法明白的事情,才孤独至极。
通訳は、まあそれほど大げさじゃないにしろ、すくなくても通訳として雇われる、ということはそこにいるほかの人たちはお互いを理解しないという状況で、ただひとりすべてを理解してしまい、であるがゆえにとても孤独なのですわ!!
翻译虽然不至于如此夸张,但至少身为被雇佣的翻译,确实是处在那样一种孤独的状态下,即在场的其他人无法做到相互理解,只有译者一个人理解了全部。
あらなんだかやたら悲劇的な話になってまいりましたが、まあそういうことです。 ま、そんなの通訳に限ったことじゃないかもしれませんが。だって、通訳のよしあしって、ものすごくむずかしいじゃん。だって、日本語をイタリア語に訳して、それがどれほど上等な訳でも、どれほどへたな訳でも、日本人にはわからないわけだから。
哎呀话题好像变得越发悲惨了,不过确实就是这么回事,尽管不是只有翻译才会遇到这样的情况。不过,翻译的好坏,判断起来不是很难嘛。因为在做日译意的时候,不管你翻得多好,亦或是多烂,日本人这方是不会明白的。
わたくしのお客様は大体イタリア人なのですが、そしてわたくしはイタリア語の能力はとりあえずおいといたとしても、日本語をしゃべる能力にはかなり自信があるのですが、この日本語能力は、雇い主であるイタリア人には永遠に評価されることはないわけです。
我的客户大多是意大利人,姑且不论我的意语水平,起码我对自己的日语口语水平是相当自信的,只是这种日语能力永远都得不到意大利雇主的评价。
ま、そうはいっても望んだ職業です。実際は、わたくしには天職だと思いますよ。何しろ小さい頃の夢(いや今でも)、「枕を交わさない花魁」だったし。
不过嘛,别看我这么说,其实翻译也是我梦寐以求的职业,是我的天职啊。而我小时候就幻想(如今也是)能成为“不卖身的雅妓”。
えー、こういっちゃなんですが、知力と容姿と外交能力を駆使してその場を仕切る、という職業を「花魁(枕は交わしません。)」だとすると、通訳はかなり近いでしょ。
哎哟,这么说虽然有点那啥,如果说“雅妓(卖身不卖艺)”是靠智慧、美貌以及交际能力hold住全场的话,那翻译便很接近这职业哦。
だからまあ、満足なんです。楽しいこともたくさんあるし。
所以呢,我也心满意足了,而且开心的事情也会有不少。
(编辑:何佩琦)