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鲁迅《故乡》(日汉对照)(六)

彼はひたすら頭を振った。見ると顔の上にはたくさんの皺が刻まれているが、石像のようにまるきり動かない。たぶん苦しみを感ずるだけで表現することが出来ないのだろう。しばらく思案に沈んでいたが煙管を持出して煙草を吸った。


母は彼の多忙を察してあしたすぐに引取らせることにした。まだ昼飯も食べていないので台所へ行って自分で飯を焚いておあがりと吩付(いいつ)けた。


あとで母とわたしは彼の境遇について歎息した。子供は殖(ふ)えるし、飢饉年は続くし、税金は重なるし、土匪(どひ)や兵隊が乱暴するし、官吏や地主がのしかかって来るし、凡(すべ)ての苦しみは彼をして一つの木偶(でく)とならしめた。「要らないものは何でも彼にやるがいいよ。勝手に撰(よ)り取らせてもいい」と母は言った。


午後、彼は入用の物を幾つか撰り出していた。長卓二台、椅子四脚、香炉と燭台一対ずつ、天秤(てんびん)一本。またここに溜っている藁灰も要るのだが、(わたしどもの村では飯を焚く時藁を燃料とするので、その灰は砂地の肥料に持って来いだ)わたしどもの出発|前(ぜん)に船を寄越して積取ってゆく。


他只是摇头;脸上虽然刻着许多皱纹,却全然不动,仿佛石像一般。他大约只是觉得苦,却又形容不出,沉默了片时,便拿起烟管来默默的吸烟了。


母亲问他,知道他的家里事务忙,明天便得回去;又没有吃过午饭,便叫他自己到厨下炒饭吃去。


他出去了;母亲和我都叹息他的景况:多子,饥荒,苛税,兵,匪,官,绅,都苦得他像一个木偶人了。母亲对我说,凡是不必搬走的东西,尽可以送他,可以听他自己去拣择。


下午,他拣好了几件东西:两条长桌,四个椅子,一副香炉和烛台,一杆抬秤。他又要所有的草灰(我们这里煮饭是烧稻草的,那灰,可以做沙地的肥料),待我们启程的时候,他用船来载去。


晩になってわたしどもはゆっくり話をしたが、格別必要な話でもなかった。そうして次の朝、彼は水生を連れて帰った。


九日目にわたしどもの出発の日が来た。閏土は朝早くから出て来た。今度は水生の代りに五つになる女の児を連れて来て船の見張をさせた。その日は一日急がしく、もう彼と話をしている暇もない。来客もまた少からずあった。見送りに来た者、品物を持出しに来た者、見送りと持出しを兼ねて来た者などがゴタゴタして、日暮れになってわたしどもがようやく船に乗った時には、この老屋の中にあった大小の我楽多道具はキレイに一掃されて、塵ッ葉一つ残らずガラ空きになった。


夜间,我们又谈些闲天,都是无关紧要的话;第二天早晨,他就领了水生回去了。


又过了九日,是我们启程的日期。闰土早晨便到了,水生没有同来,却只带着一个五岁的女儿管船只。我们终日很忙碌,再没有谈天的工夫。来客也不少,有送行的,有拿东西的,有送行兼拿东西的。待到傍晚我们上船的时候,这老屋里的所有破旧大小粗细东西,已经一扫而空了。


船はずんずん進んで行った。両岸の青山はたそがれの中に深黛色(しんたいしょく)の装いを凝らし、皆連れ立って船後の梢に向って退(しりぞ)く。


わたしは船窓に凭(よ)って外のぼんやりした景色を眺めていると、たちまち宏兒が質問を発した。


「叔父さん、わたしどもはいつここへ帰って来るんでしょうね」


「帰る? ハハハ。お前は向うに行き著きもしないのにもう帰ることを考えているのか」


「あの水生がね、自分の家(うち)へ遊びに来てくれと言っているんですよ」


宏兒は黒目勝ちの眼をみはってうっとりと外を眺めている。


わたしどもはうすら睡(ねむ)くなって来た。そこでまた閏土の話を持出した。母は語った。


「あの豆腐西施は家(うち)で荷造りを始めてから毎日きっとやって来るんだよ。きのうは灰溜の中から皿小鉢を十幾枚も拾い出し、論判(ろっぱん)の挙句、これはきっと閏土が埋(うず)めておいたに違いない、彼は灰を運ぶ時一緒に持帰る積りだろうなどと言って、この事を非常に手柄にして『犬ぢらし』を掴んでまるで飛ぶように馳け出して行ったが、あの纏足の足でよくまああんなに早く歩けたものだね」


(犬ぢらしはわたしどもの村の養鶏の道具で、木盤の上に木柵を嵌(は)め、中には餌(え)を入れておく。鶏は嘴が長いから柵をとおして啄(ついば)むことが出来る。犬は柵に鼻が閊(つか)えて食うことが出来ない。故に犬じ[#「じ」はママ]らしという)


我们的船向前走,两岸的青山在黄昏中,都装成了深黛颜色,连着退向船后梢去。


宏儿和我靠着船窗,同看外面模糊的风景,他忽然问道:


“大伯!我们什么时候回来?”


“回来?你怎么还没有走就想回来了。”


“可是,水生约我到他家玩去咧……”他睁着大的黑眼睛,痴痴的想。


我和母亲也都有些惘然,于是又提起闰土来。母亲说,那豆腐西施的杨二嫂,自从我家收拾行李以来,本是每日必到的,前天伊在灰堆里,掏出十多个碗碟来,议论之后,便定说是闰土埋着的,他可以在运灰的时候,一齐搬回家里去;杨二嫂发见了这件事,自己很以为功,便拿了那狗气杀(这是我们这里养鸡的器具,木盘上面有着栅栏,内盛食料,鸡可以伸进颈子去啄,狗却不能,只能看着气死),飞也似的跑了,亏伊装着这么高低的小脚,竟跑得这样快。


だんだん故郷の山水に遠ざかり、一時ハッキリした少年時代の記憶がまたぼんやりして来た。わたしは今の故郷に対して何の未練も残らないが、あの美しい記憶が薄らぐことが何よりも悲しかった。


母も宏兒も睡ってしまった。


老屋离我愈远了;故乡的山水也都渐渐远离了我,但我却并不感到怎样的留恋。我只觉得我四面有看不见的高墙,将我隔成孤身,使我非常气闷;那西瓜地上的银项圈的小英雄的影像,我本来十分清楚,现在却忽地模糊了,又使我非常的悲哀。


母亲和宏儿都睡着了。


わたしは横になって船底のせせらぎを聴き、自分の道を走っていることを知った。わたしは遂に閏土と隔絶してこの位置まで来てしまった。けれど、わたしの後輩はやはり一脈の気を通わしているではないか。宏兒は水生を思念しているではないか。わたしは彼等の間に再び隔膜が出来ることを望まない。しかしながら彼等は一脈の気を求むるために、凡てがわたしのように辛苦展転して生活することを望まない。また彼等の凡てが閏土のように辛苦麻痺して生活することを望まない。また凡てが別人のように辛苦放埒して生活することを望まない。彼等はわたしどものまだ経験せざる新しき生活をしてこそ然(しか)る可(べ)きだ。


我躺着,听船底潺潺的水声,知道我在走我的路。我想:我竟与闰土隔绝到这地步了,但我们的后辈还是一气,宏儿不是正在想念水生么。我希望他们不再像我,又大家隔膜起来……然而我又不愿意他们因为要一气,都如我的辛苦展转而生活,也不愿意他们都如闰土的辛苦麻木而生活,也不愿意都如别人的辛苦恣睢而生活。他们应该有新的生活,为我们所未经生活过的。


わたしはそう思うとたちまち羞しくなった。閏土が香炉と燭台が要ると言った時、わたしは内々彼を笑っていた。彼はどうしても偶像崇拝で、いかなる時にもそれを忘れ去ることが出来ないと。ところが現在わたしのいわゆる希望はわたしの手製の偶像ではなかろうか。ただ彼の希望は遠くの方でぼんやりしているだけの相違だ。


夢うつつの中(うち)に眼の前に野広い海辺の緑の沙地が展開して来た。上には深藍色の大空に掛るまんまろの月が黄金色であった。


希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。


我想到希望,忽然害怕起来了。闰土要香炉和烛台的时候,我还暗地里笑他,以为他总是崇拜偶像,什么时候都不忘却。现在我所谓希望,不也是我自己手制的偶像么?只是他的愿望切近,我的愿望茫远罢了。


我在朦胧中,眼前展开一片海边碧绿的沙地来,上面深蓝的天空中挂着一轮金黄的圆月。我想:希望是本无所谓有,无所谓无的。这正如地上的路;其实地上本没有路,走的人多了,也便成了路。


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