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鲁迅《社戏》(日汉对照)(七)

「家(うち)へ帰れば大丈夫だよ。乃公が保証する」


と雙喜は船頭(みよし)に立って叫んだ。わたしはみよしの方を見ると、前はもう平橋であった。橋の根元に人が一人立っていたがそれは母親であった。雙喜はわたしの母親に向って何か言ったが、わたしも前艙(いちのま)の方へ出た。船は平橋に来て停った。われわれはごたごた陸(おか)へ上(あが)った。母親は少し不機嫌で、十二時過ぎても帰らないからどうしたのかと思ったよ、とは言ったが、それでも元気よくみんなをよんで、炒米(いりごめ)を食わせた。みんなはもうおやつを食べているし、眠くはあるし、早く帰って寝たかったので、すぐに散り散りに別れた。


“都回来了!那里会错。我原说过写包票的!”双喜在船头上忽而大声的说。


我向船头一望,前面已经是平桥。桥脚上站着一个人,却是我的母亲,双喜便是对伊说着话,我走出前舱去,船也就进了平桥了,停了船,我们纷纷都上岸。母亲颇有些生气,说是过了三更了,怎么回来得这样迟,但也就高兴了,笑着邀大家去吃炒米。


大家都说已经吃了点心,又渴睡,不如及早睡的好,各自回去了。


次の日、わたしは昼頃になってようやく起きた。八おじさんの塩薪事件は何の問題も引起さなかった。午後はやはり蝦釣りに行った。


「雙喜、てめえ達はきのう乃公の豆を偸んだろう。いけねえなあ、たくさん偸んだ上に、あんなに踏み荒しては」


わたしは首を挙げて見ると、六一爺さんは、小船に棹さして豆売からの帰りがけらしく、船の中にまだたくさんの豆が残っていた。


「ええ、わたしどもは御馳走になったよ。初めはお前のとこのものは、要らなかったんだが、ね、御覧、お前はわたしの蝦を嚇(おど)かして逃してしまったよ」と雙喜は言った。


「御馳走か――ちげえねえ」六一爺さんはわたしを見ながら櫂をとめて笑った。


「迅ちゃん、きのうの芝居は面白かったかね」


わたしは頷いて「ええ」と答えた。


「豆はうまかったかね」


「ああ大変うまかったよ」


第二天,我向午才起来,并没有听到什么关系八公公盐柴事件的纠葛,下午仍然去钓虾。


“双喜,你们这班小鬼,昨天偷了我的豆了罢?又不肯好好的摘,踏坏了不少。”我抬头看时,是六一公公棹着小船,卖了豆回来了,船肚里还有剩下的一堆豆。


“是的。我们请客,我们当初还不要你的呢。你看,你把我的虾吓跑了!”双喜说。


六一公公看见我,便停了楫,笑道,“请客?——这是应该的。”于是对我说,“迅哥儿,昨天的戏可好么?”


我点一点头,说道,“好。”


“豆可中吃呢?”


“我又点一点头,说道,“很好。”


六一爺さんは非常に感激して、親指をおこして、得意になって喋舌った。


「さすがは大どころで育った学者だけあって、目が高い。乃公の豆は一粒|撰(よ)りなんだぜ。田舎者にゃわからねえ。全く乃公の豆は、ほかのもんとは比べ物にならねえ。乃公はきょう幾らか、おばさんのところへ持ってってやるんだ」


彼はそこで櫂を押して過ぎ去った。


不料六一公公竟非常感激起来,将大拇指一翘,得意的说道,“这真是大市镇里出来的读过书的人才识货!我的豆种是粒粒挑选过的,乡下人不识好歹,还说我的豆比不上别人的呢。我今天也要送些给我们的姑奶奶尝尝去…”他于是打着楫子过去了。


わたしは母親に喚(よ)ばれて晩飯を食いに帰ったら、卓上の大どんぶりに煮立ての羅漢豆があった。これは六一爺さんがわたしの母とわたしに食べさせるために贈ってくれたもので、彼は母親に向って、わたしのことを箆棒(べらぼう)にほめていたそうだ。


「年はいかないが見上げたもんだ。いまにきっと状元(じょうげん)に中(あた)るよ。おばさん、おめえ様の福分は乃公が保証しておく」


わたしは豆を食べたが、どうしてもゆうべの豆のような旨みは無かった。


まったく、それからずっと今まで、わたしは本当にあの晩のようないい豆は二度と食べたことはなかった。――あの晩のようないい芝居も二度と見たことはなかった。


待到母亲叫我回去吃晚饭的时候,桌上便有一大碗煮熟了的罗汉豆,就是六一公公送给母亲和我吃的。听说他还对母亲极口夸奖我,说“小小年纪便有见识,将来一定要中状元。姑奶奶,你的福气是可以写包票的了。”但我吃了豆,却并没有昨夜的豆那么好。


真的,一直到现在,我实在再没有吃到那夜似的好豆,——也不再看到那夜似的好戏了。


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