むかしむかし、ある家で、法事(ほうじ→身近な人の死んだ日に、みんなで集まってお経をあげたり、お墓参りすること)をする事になりました。
很久很久以前,有户人家要做法事(身边的人在去世的日子时,大家聚在一起念经扫墓等)。
そこでお寺へお坊さんを呼びに行きましたが、お坊さんが留守(るす)で小僧(こぞう)さんしかいません。
于是,去寺庙请和尚,可是和尚不在,只有个小僧在。
でも小僧さんなら、お経ぐらいよむ事が出来ます。「小僧さん。わたしの家へ、法事に来てください」
可是小僧的话念念经之类的应该还是可以的。“小僧,请到我家来做一下法事吧。”
「はいはい、わたしでよかったら、すぐまいります」小僧さんはさっそく、お坊さんの衣を着てやって来ました。
“好的好的。如果我可以的话马上就去。”小僧立刻穿上和尚的衣服。
「では、はじめさせていただきます」小僧さんがおじぎをして、さて、お経をよもうと思ったら、ふところにお経の本がありません。
“那么,我们开始吧。”小僧行了礼,正打算开始念经的时候,发现口袋里没有经书。
あわててやって来たので、持って来るのを忘れてしまったのです。
由于急急忙忙地过来,忘记拿了。
この小僧さんは、本がなくてはお経がよめません。(こりゃ、困ったぞ)そう思って窓の外を見ると、軒下(のきした)になっぱの束(たば)が干してありました。
小僧没有经书就念不了经。(这可真难办了)这样想着就往窗外看,看到屋檐下有青菜束在晒干。
小僧さんは、いかにもお経のように、その数をかぞえはじめました。「一れん、二れん、三れん、四れん、ああ、五れん、六れん」
小僧就像念经一样,开始数了起来:“一串,两串,三串,四串,啊啊,五串,六串 ”
一れんというのは、なっぱをつるしてある一本のナワのことで、一れん、二れんとかぞえます。
所谓一串,就是晒野菜时用一根绳子捆起来的,以一串,两串来数。
小僧さんはなっぱの束をかぞえ終わると、またはじめから、「一れん、二れん、三れん、四れん、 」と、そればっかりです。
小僧把青菜束都数完后,又开始数:“一串,两串,三串,四串 ”尽是这样数着。
窓の外でそれを聞いていた子どもが、小僧さんに言いました。「小僧さん、それ、なんというお経じゃ」
在窗外听到了的小孩子问小僧:“小僧,这是什么经啊?”
「これは干しな経といって、とてもありがたいお経じゃ」
“这是干经,是很少听到的经。”
「へえ、そんなら、あっちにもまだ、二、三れん、つってあるよ」
“是吗,这样的话,那里还有二,三串呢。”
すると小僧さんは、「いや、それはこの次に来たとき、よむつもりじゃ」と、言ったという事です。
小僧听了后就说道:“不,那个是我打算下次来时再念的。”