問題7次の文章を読んで、文章全体の趣旨を踏まえて、41から45の中に 入る最もよいものを、1、2 、3、 4から一つ選びなさい。
わが国では一般に、日本人が外国語を話せないのは、教育の技術が悪いからだと信 じられている。はたしてし(41)。確かに教育にも問題があろう。しかし、たとえば つぎの四点を実行(42)、どんなに「会話」がうまくても、国際的な場所では傾聴(注)されないだろう。
(1)自分の考えを論理的に表現するし(43)。
(2)遠慮せず議論に割りこむ(43)。
(3)他の人とひと味違った発言をするし(43)。
(4)五分に一度は聴衆を笑わす(43)。
この四点は、考えようによっては、外国語を話すよりも難しい。(44)わが国では、 語るには情をもってし、つねに控え目で、皆と同じことを行い、まじめでふざけない ことが評価され、美徳とされているからだ。
こう考えてみると、日本人の外国語下手は、教育技術の問題というよりは、もっと 深い文化の問題(45)と思うのである。
(小林善彦「なぜ下手か日本人の外国語」1992年8月21日付朝日新聞夕刊による)
(注)傾聴:真剣に聞くこと。
41 1そうであろう 2何であろう 3そうだろうか 4何だろうか
42 1すれば 2しなければ 3しても 4しなくても
43 1のだ 2点 3こと 4ところ
44 1それなら2したがってこのため4なぜならば
45 1ではないか2であるべきか3ではない4であるべきだ
問題8次の⑴から⑷の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1、2 、 3 、 4から一つ選びなさい。
(1)
大人になっても、味覚は変わり続ける。二十代の血気盛んな頃、すき焼き鍋などを囲む と、肉ばかり食べている私を見て、「私たちはもう沢山。年をとると、キノコゃ野菜が一 番おいしい」などと半ば私を、半ば自分自身を論すかのように言う年長者がいた。なるほ ど、私も、最近では肉の味のしみた野菜ゃキノコがおいしい。一方で、肉も相変わらず食 ベる。年長者だって、肉を食べなくなるわけではない。
(茂木健一郎『食のクオリア』による)
46食べることに関して筆者はどのように感じているか。
1若い験肉が好きでよく食べた人も、年をとると食べ物の好みが変わる。
2人は年齢を重ねるにつれて、野菜も肉も食べる量が少なくなってくる。
3 二十代の頃は肉よりも味のしみたキノコゃ野菜を好んで食べる人が多い。
4年長者は肉と野菜を片寄りなく半分ずつ食べたほうがいいと思っている。
(2)
相手を思いやる気持ち、これも、「あいさつ」の心にちがいありません。
先年、アフリカへ行ったとき、タンザニアで聞いたことですが、現地の人たちが道で知 人とあいさつを交わすとき、おたがいに家族の安否をたずねますが、たとえ自分の家族に 病人がいても、それをロに出さないのが暗黙のルールになっているのだそうです。相手の 気持ちに負担をかけまいとする心からです。
(川崎洋『ことばの力』による)
47暗黙のルールになっているのはどんなことか。
1安否をたずねる際には、ことばをロに出さないこと。2あいさつを交わすときは、まず安否をたずねること。3あいさつのとき、家族の病気のことは言わないこと。
4病気の人がいる家族とはあいさつを交わさないこと。
(3)
毎年、花の種を蒔いたり、球根を植えたりする季節が近づくと、種苗を扱う農園から、 色刷りのカタログが送られてくる。私には植物を実際に取り寄せて植える土地などはない から、それを眺めて空想庭園を楽しむのである。しかし、それらの誇らしげに咲いている 花の見合い写真を次々に見ていくと、連中が一様にある傾向を有していることに嫌でも気がつく。つまり、すべての花を「品種改良」によって、より大輪にし、そして何でもかでも八重咲に造りかえてしまおうという、人間の趣味と努力と一種の意地がそこに反映しているのである。
(奥本大三郎『虫の宇宙誌』による)
連中:ここでは、花のこと
(注2〕大輪:花の大きさが普通よりも大きいこと
(注3〉八重咲:花びらが数多く重なっていること
48そこは何を指しているか。
1品種改良されていない花
2カタログに掲載されている花
3筆者が取り寄せたいと思った花
4筆者が空想している庭園の花
49人間について、この文章からわかることは何か。
1環境の変化に関係なく、協調性より自己利益を追求する。
2生命の危機がなくなると、他者との協調性が薄れる。
3文明が発展するにつれて、協調性が生まれ。
4協調性を育てるために、集団生活をする。
問題9次の⑴から⑶の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを1、2、3、4から一つ選びなさい。
⑴
定年に備えた企業の研修資料にく「自分」-「仕事」ニ?〉とあるのを見て、会社一筋 に働いてきた人には厳しい設問だなあ、と思ったことがある。
事実、会社人間だった大阪の友人はこの設問に「ゼロや」と苦笑して、定年後の近況を 話す。
「女房が出掛けようとすると、ワシも行くと言うもんやから、すっかり嫌がられてるよ」 こういう定年亭主を「恐怖のワシも族」と言うのだそうだが、今やさぞかし「ワシも族」 がはびこっていることだろうと思いきや、ニッセイ基礎研究所の「定年前.定年後」とい う本にこんな調査結果が収められていた。
数字は省くが、仕事に生きがいを持っていた人のほうが、そうでない人より定年後の社 会活動にもずっと生きがいを感じているという内容で、要するに、会社人間ほど定年後も 意欲的という分析だ。
彼らの社会活動の生きがいは、交友関係の広がりによって生まれているようで、植木職 人になったり、NPOやボランティア、地域活動に携わっている元銀行員をはじめ、多種 多様なケースがいろいろ紹介されている。
以前、あれは有力銀行の支店長であったか、定年退職した途端、年賀状も激減するなど 一変した状況に喪失感を覚え、自ら命を絶ったという話を聞いたことがある。
これなどは極端なケースだとしても、く「会社」のために頑張る価値観は、「社会」の ために頑張る価値観と合致するかもしれない〉と分析される先の調査結果などは、会社人 間の「その後」に新しい視点をもたらすものだろう。
(近藤勝重「しあわせのトンボ:会社人間の『その後』」2007年11月14日付毎日新聞夕刊による)
(注)ワシ:わたし
50筆者の友人が、<「自分」-「仕事」=?>という設問に「ゼロや」と答えたそう だが、それはどのような意味か。
1その友人はこれまで一つの仕事しかしてこなかったので、ほかの仕事は全然できな いという意味
2その友人は仕事一筋に生きてきたので、これからも家族と一緒に何かしようとは考 えていないという意味
3その友人は生活のすべてを仕事中心に送ってきたので、定年後は何もすることがないという意味
4その友人は定年後に生きがいを見つけ、会社生活で得たものはゼロだったと感じて いるという意味
51①「ワシも族」とは、どのような人たちのことか。
1奥さんが何かしようとすると、なんでも一緒にしたがる定年後の夫
2奥さんばかりでなく、家族の皆からも嫌がられている定年後の父親
3会社に出かけて行くよりも、家で奥さんと一緒にいるのが好きな夫
4定年退職後、自ら進んで家事や社会活動に積極的に参加したがる夫
52②新しい視点をもたらすとは、どのようなことか。
1退職後には多種多様な仕事の選択肢があるから明るいと感じること
2会社中心に過ごしてきた人ほど、家での仕事に積極的になれること
3会社人間ほど定年後の社会活動に意欲的であるととらえられること
4定年後に生きがいがない人でも、社会的な活動には期待できること
(2)
技術者にとってレース車を開発するというのは、非常に魅力があるようなのだ。
それはそうだろう。市販車の開発であれば、コストのことや工場のことを考えなければ いけないので、自分の考え出した創意工夫を必ずしも反映できるわけではない。いいモデルを出したからといって、営業の力が弱ければ売れるとは限らない(少なくとも、多くの 開発技術者はそう思って歯軋りをしているに違いない)。しかし、レース車であれば、ある程度、採算無視で色んなことにトライできる。何よりも、営業力とか他の要素に邪魔さ れることなく、(1)どんな大メーカーを相手にも対等に優劣を争うことができるわけだ。
逆にいうと、言い訳のない世界でもある。敵よりコンマ1秒でも遅れをとれば負けるの だ。そして、それは、はっきりとその場で目に見える。(中略)
目標設定も単純だ。市販車開発なら、時にはアメリカと欧州の両市場で売れる車を作っ てくれと営業から要求されたりする。そこでは技術的に妥協せざるを得ないが、レースは絶対的な速さだけを目指せばいいのだ。その代わり、自分の実力が今どうであれ、敵の車 が75秒でサーキツトを1周していれば、それより速い夕イムで走る車をつくらないと意味
(注2〉がないのだ。(2)出来る、出来ないを論じる余地は全くない。また、お分かりのように、他チー
まねムの車の真似だけをしていれば、決して「最速」にはならないのも真実なのだ。
(田中詔一『ホンダの価値観一原点から守り続ける0尺八』による)
(注1〉歯軋りをする:ここでは、悔しく思う (注2〕サーキット:レース用のコース
53(1)どんな大メーカーを相手にも対等に優劣を争うことができるとあるが、なぜか。
1創意工夫する力さえあれば売れる車がつくれるから
2性能さえよければ採算のとれるレース車がつくれるから
3営業力に邪魔されずに価格で勝負できる車がつくれるから
4コストなどの要素に影響されずにレースで競える車がつくれるから
54(2)出来る、出来ないとあるが、何が出来る、出来ないのか。
1自社の最高タイムを次のレースで上回ること
2技術的に妥協するしかない場合には妥協すること
3ライバル社より少しでも速く走れる車をつくること
4アメリ力や欧州のレースでいい成績をおさめること
55この文章によると、レース車の開発は、技術者にとってなぜ魅力的なのか。
1高い技術力が示せれば世界で認められるから
2自社が持っている技術力の高さを証明できるから
3明確な目標に向かって開発だけに集中できるから
4開発者としての実力が大メーカーからも評価されるから
⑶
わが国の文章の書き手として、想像.想像するという言葉をもっともよく使ったのは、 おそらく柳田国男であろう。民衆に伝えられる生活の慣習、用具などに残る手がかりをつ うじて、なつかしい古層(注1)へとたどる民俗学の、わが国での開拓者として、柳田にはこの言葉がきわめてたいせつなものであった。
柳田は、それと空想.空想するという言葉とを区別しようとした。その文章の執筆の時 期や、あつかう対象、また語りかける相手のちがいにつれて、柳田の行なった空想.空想 すると、想像.想像するの区別には、いかにもはっきりしている際と、そうでない場合が ある。しかし後の場合も、空想.空想することをしだいに正確にしてゆけば、想像^想像 するにいたるという、段階的なつながりにおいて——あい接し(注2)、境界がぼやけていること はあるにしても、その上辺と下辺では、ちがいがはっきりしている、という仕方で——使 われている。
具体的な根拠のない、あるいはあってもあいまいなものにたって行なう古層への心の動 きを、空想‘空想するとし、よりはっきりした根拠にたつ、しっかりした心の働きを、想 像-想像するとして、柳田は使いわけているのである。そこで時には、ややとか、あきも かにとかいう限定辞をかぶせねばならぬのではあるが、空想.空想するには、人間の心の 働きとして、マイナス‘消極的評価のしるしがついており、想像.想像するは、プラス. 積極的評価のしるしがついている。
(大江健三郎『新しい文学のために』による)
(注1)古層:ここでは、古い時代
(注2)あい接し:互いに接し
56柳田が使う「空想丨空想する」と「想像^想像する」にはどのような関係があると 筆者は考えているか。
1互いに似ている部分があるが、「空想^空想する」から「想像^想像する」に変わ ることはない。
2全く異なるものであり、「空想,空想する」と「想像、想像する」との境界ははっ きりしている。
3両極も境もぼやけていて、「空想-空想する」と「想像、想像する」との境界は はっき.りしない。
4両極は明確だが境はぼやけていて、「空想^空想する」から「想像^想像する」に 変わることがある。
57柳田が「空想.空想する」という言葉を使うのはどのようなときだと筆者は考えて いるか。
1はっきりしないものをもとに古い時代を考えるとき
2はっきりしたものを根拠に古い時代をたどるとき
3現代に残されている手がかりから過去をたどるとき
4過去の出来事を手がかりに現代を考えるとき
58柳田が「想像.想像する」という言葉を使うのはどのようなときだと筆者は考えて いるか。
1古い時代の民衆の心を伝えるとき
2人間の心の働きを積極的に評価するとき
3あいまいなイメージをはっきりさせるとき
4明確な根拠にもとづく心の働きを表すとき