1、「余儀なくされる」和「余儀なくさせる」如何区分?
当主语和对象语的关系十分明确时,其实是很容易区分的:主语和对象语如果是被动关系的话,就用被动态的「余儀なくされる」;主语和对象语如果是使役关系的话,就用使役态的「余儀なくさせる」;但如果两者关系不是很明确时,我们可以按下面的方法来分析:
解题关键:要弄清句子的结构(个人认为要理解一个句子,不光是词汇,语法,理清句子结构也很重要哦)。首先我们要知道,这类句子有一个特点,就是某事或某人因为某一原因不得不发生变化。,我认为关键在于弄清“主语”、“余儀なくする的对象语”及“变化原因”。我们先来看2个例句来分析一下:
~を余儀なくされる:不得不…
例:せっかく入った大学であったが、太郎は病気のため退学を余儀なくされた(主语是太郎,对象语是退学,变化原因是生病)。
这个句子的结构:太郎因为生病不得不退学。即:主语因为变化原因而不得不发生某一变化,用「余儀なくされる」。
~を余儀なくさせる:使…不得不…
例:太郎は役者志望だったが、家庭の事情は彼に家業を継ぐことを余儀なくさせた。(主语和变化原因均是家庭情况 ,对象语是继承家业,再注意一个结构“彼に[使他……]”)
这个句子结构:家庭情况使太郎不得不继承家业。即变化原因(主语)使某人不得不发生变化,用「余儀なくさせる」(要注意「~に」这个结构不一定会出现)。
我们再来分析一下下面两个句子。
a.夏祭りの計画は、予算不足のため、変更を( )。(选自2001年1级语法)
1 余儀なくした 2 余儀なくできた 3 余儀なくさせた 4 余儀なくされた
主语是“夏日祭的计划”,对象语是“计划变更”,变化原因是“预算不足”。句子结构:夏日祭的计划因预算不足不得不变更,所以:「夏祭りの計画は、予算不足のため、変更を余儀なくされた」。
b.資金不足は、その工事の中止を余儀なくさせた。(选自《日本语能力测试1级语法解析》)
主语是“资金不足”,对象语是“工事中止”,变化原因是“资金不足”,主语和变化原因相同,所以用「余儀なくさせた」。句子结构:资金不足使工事不得不中止(这句就没有出现「~に」这个结构)。
2、「にあって」和「において」什么时候可以互换,什么时候不行?在用法上有啥注意的?
にあって:前面接续名词,表示“处在这个名词所显示的情况下”的意思。前面的情况和后面的接续比较随意,既可以是顺接,也可以是逆接。
例:大臣という職にあって、不正を働いていたとは許せない。/虽然身居大臣的要求,但是做了坏事也不可饶恕。
において:1)前面接续表示时间,地点,或者状况的词后面,相当于「で」。
2)前面接续表示“领域”的词,用于表示在这一方面,后项多用于评价和比较。前者表示身处于某种状态,强调的是状态。后者则是强调范围,地点。用法是完全不一样的。
3、「~(よ)うが、~(よ)うが」和「~にしても~にしても」和「~にしろ、~にしろ」怎么区分使用呢?
~(よ)うが、~(よ)うが:前后使用相反的动词,或者近义动词,表示“不管前项如何,后项都一样”的意思。
例:皆に笑われようが、馬鹿にされようが、気にしない。/不管是大家歧视还是笑话,我都不在乎。
にしても~にしても:前项除了用动词以外,还可以接续名词。同样也是举出两个同类或者对立的事物,表示无论哪方面的意思。
例:勝つにしても、負けるにしても、正々堂々と戦いたい。/不论是输是赢,我都要光明正大得参加比赛。
にしろ=にしても=にせよ。「にせよ」是比较正式的用法。
总结:1.两者接续不同,一个只能接续动词,一个动词和名词都可以。
2.在表示不论前项如何,不论前项是哪方面的意思时,可以互换。但是,「にしても」前项可以用于过去事项的评论,而「ようが」则多对于未来可能发生情况的说明。
4、スタイルがよくなくても、__洋服を上手に着こなせばきれいに見えます。
1. そのわりに 2.それなりに 3.そのくせに 4.そのせいで
动词/形容词+なり/なりに:表示顺应前项的状态,后项是与前项相呼应的,相符合的事项。翻译成“那般,那样,有其相应的~”。
例:私なりに努力してみましたが、力が及びませんでした。/我尽了自己的努力,但是我的力量达不到(表示这个努力是符合我本身实例和能力范围内的)。
それなりに:恰如其分得,相应的。
句意:即便身材不那么好,只要善于把洋装穿得恰如其分看起来就很漂亮。
5、この講座は楽しい___ _★_ ___ ___きちんとした講座だった。
1.までも 2.一応 3.とはいえない 4.聞く価値のある
正确的顺序应该是:3124
この講座は楽しいとはいえないまでも、一応聞く価値のあるきちんとした講座だった。
まで:表示程度
とはいえ:虽说
「一応聞く価値のある」是定语,修饰「きちんとした講座」,而「きちんとした」又修饰「講座」属于修饰中套修饰。
価値のある=価値がある:定语从句中,主格「が」可以用「の」来替换。
句意:这个讲座虽说没趣,但总算是有可听价值的,正正经经的讲座。