本音と建前の就職活動
高太郎君は、この四月に、横浜大学の四年生になったばかりです。最終学年になった途端に、自宅にはおびただしい数の郵便物が、高太郎君宛てに毎日のようにくるようになりました。それらはすべて、会社が送ってくる会社案内です。メーカー、サービス、流通、金融、証券などありとあらゆる分野の会社が次々とおくってくるのです。高太郎君はそれらを全部開封するわけではありません。必要なものだけを取捨選択してあとはそのまま捨ててしまいます。
高太郎君の学生生活はそれまでの三年間とは一変しました。それまではクラブ活動やアルバイトのため帰宅するのは遅かったのですが、クラブやバイトはしばらく休むことにして早く帰るようになり、夜遅くまで会社案内を検討したり、ていねいに履歴書を書いたり、就職試験問題集を開いていることが多くなりました。高太郎君は就職活動の季節を迎えたのです。
高太郎君は理髪店に行き、それまで少し長めであった髪を短めにしてもらったあと、新調したスーツを着て写真館に行きました。写真館のご主人は高太郎君の父の友人で中原さんといい、高太郎君は赤ん坊のころから、中原さんに折々の祈念写真を撮ってもらってきました。お宮参り、初節句、入学、卒業、成人式などです。高太郎君が写真館に入ると、中原さんが「おや、もう就職か」と高太郎君がなにもいわないうちに声をかけました。中原さんは、高太郎君の服装を一目見ただけですぐ見当がついたのです。高太郎君の服装はいわゆるリクルートスーツといって、企業を訪問する際の、派手でもなく暗くもない無難な服装だったのです。高太郎君は履歴書にはる写真をとりにきたのでした。
「何枚焼く。」と中原さんが聞いたので、「とりあえず10枚お願いします」と高太郎君が答えると、「そんなにうけなきゃだめかい。」と中原さんは少し驚いたようにいいました。高太郎君は、いまは売り手市場のため、学生は複数の会社の内定をもらっておいて、各会社の条件を比較して希望の会社を選ぶことができるので、選択の幅をできるだけ広げておいたほうが有利であると説明しました。中原さんは「おじさんのころは、完全な買い手市場だったな。時代は変わったもんだ」と言い、望みの会社に入社できるよう励ましてくれました。
「青田買い」という言葉があります。これはもともと米に関する言葉で、稲が未成熟の青い付け業者が将来の収穫を見越して買い取ることです。これが転じて就職戦線を言い表すのに使われるようになりました。つまり、大学4年生の卒業の見込みもたたない夏休み前に、企業が卒業を見越して採用を決めてしまうことの意味で使われています。
なぜこのようなことが行われるのでしょう。その理由は、企業はその企業にとって望ましい人材を、他の企業に採用されないうちに、1日でも早く確保したいからです。しかし、企業同士が優秀な人材をより早くより多く採用しようと競争すればするほど、その時期は早まる傾向があり、青田買いは大学教育を混乱させかねません。そのため、文部省(大学側)と企業との間の就職協定により、年によって変動はあるものの、企業の採用選考開始はだいたい8月から、採用内定開始は10月からと決められています。しかしながらこれは建前で、本音のところでは、企業も学生も活動をはじめているのです。5月だというのに、高太郎君はもう複数の会社から内定をもらいました。しかしそれで就職活動をやめるつもりはないようです。
今日もまた就職情報誌がどっさり送られてきました。高太郎君はそれらを仔細に検討し、友人と電話を交換しあい、次に訪問する会社をどこにするか思案しています。就職活動はすでに本番に入っているのです。
下の質問に答えなさい。
1高太郎君が大学4年生になったら、どんな変化が起こったか。
2高太郎君は就職活動を始めるのにどんな準備をしたか。
3「買い手市場」「売り手市場」とはどういう意味か。
4「青田買い」とはどういうことか、本来の意味と、それが転じてどのようにつかわれているか説明しなさい。
5「青田」の「青」とはどのような意味で使われているのか。また、あなたの「青色」に対するイメージはとんなものか。
6なぜ「青田買い」は大学教育を混乱させるのか。
7「就職協定」はどのような内容か。
8「就職協定」は必ず守られているか。
9あなたの国では就職についてどんな問題があるか。
10日本の就職戦線についてどう思うか。
討論テーマ
1「本音」とはどういうものか
2「建前」とはどういうものか
3これらは日本人独特のものか。あなたの国ではどうか。
4あなたは日本に来てから、日本人の「本音」と「建前」に接したことがあるか。そのときどんな感じをもったか。
5「本音」と「建前」の具体的な例をあげなさい。