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日语一级阅读测试4(有答案)

死体ははたしてだれのものか。


自分のものだとしても、死んだ後では、所有権を実際に自分で主張することはできない。


法的には、そこはどうなっているのか.それを私は、実は知らないのである。職業柄、年中扱っている「もの」の、所有権が不明である。そんなことで、よく仕事が勤まる。そう怒られそうだが、無論常識的には、死体は、遺族のものである。


しかし、ちょっとご想像いただくと分かるはずだが、遺族というのは、しばしば単数ではない。遺産相続の場合なら、子供にはすべて、平等の権利があるはずであるか。そんな議論は、聞いたこともない。


こういう議論自体が不謹慎だ.ひょっとすると、そうお考えになる方があるのではないか。もしそうなら、私としては、たいへん我が意を得たことになる。不謹慎であるとか、世の中乱れるとか、人心に与える影響を恐れる。こういった、かならずしも明確に定義できない常識が、死体にかかわる多くの問題の背景となっているからである。


こうした常識を考え、それと戦うことは、決して容易ではない。私は死体を扱うのが仕事だから、そうはいっても、それを考えざるをえない。したいをめぐって、しばしばトラブルが生じるからである。


こうした漠然とした常識.それの背景をしるためには、じつは日本の文化そのものを追究せざるを得ない.私の仕事は、いつの間にか、そういう方向を向かいてしまった。


遺族だって、決して明瞭ではない。しばしば複数の遺族が出現することがあるからである.東京に住んでいる遺族が親の解剖を承諾したが、田舎から出てきた遺族がそれに反対する.こういう例も多い。すでに解剖が始まっているときに、「私は解剖するとは聞いてなかった、実は反対だ」という親族が現れる.これは、われわれがいちばん困惑するケースである。


事前に十分に調べろといったって、よその家族の事情だから、それは困難である.解剖を承諾しますといっていただくだけで、当方としてたいへん感謝している。そこを押して、「お疑いするようでもうしわけないが、もしかしたら、田舎のご親族で、解剖に反対の方がおられませんか」。そんなことを、きけるはずがないではないか。


遺族に私が殴られたりするのは、こうしたケースである.仕事の上だから、別にどうということはないが、250年の歴史を持つ解剖ですら、この国では、必ずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる。


注1遺族:死んだ人の家族や親類


注2遺産:死んだ人が残した財産




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