福島市生まれの詩人、長田(おさだ)弘さんの詩集『詩の樹の下で』から一節をお借りする。〈あらゆるものには距離があるのだ。あらゆるものは距離を生きているのだ。そして、あらゆるものとのあいだの距離を測りながら、人間はいつも考えているのだ。幸福というのは何だろうと〉
借用福岛县出生的诗人长田弘先生的诗集《诗之树下》中的一段。“所有的东西都有距离。所有的东西都产生距离。并且,在测量所有东西之间距离的同时,人们总是在思考。所谓幸福是什么呢”。
▼〈幸福を定義してきたものは、いつのときでも距離だった〉と詩は続き、様々な距離を挙げる。小さな花々との距離。川や丘、海との距離。生まれた土地との距離。亡き人との距離……まだまだある
▼诗接着吟诵道,<对幸福定义的结果,无论何时都是距离>,并列举了各种各样的距离。与小花的距离;与河流、山岗以及大海的距离;与生养我们之土地的距离;与亡故之先人的距离……,除此之外还有许多。
▼長田さんの感性に触発されて、震災で壊れたものがあらためて浮かび上がる。生命財産を奪い去った災厄は「幸福な距離」も破壊していった。きのうの本紙アンケートによれば、家族が離ればなれで暮らす人が3割を超えている
▼在长田先生感性的触动之下,那些震灾中被损毁的物体重又浮现在了眼前。夺走了人们生命财产的灾祸也破坏了这“幸福的距离”。据昨天本报纸进行的问卷调查表明,家庭成员分开生活的人数超过了3成。
▼故郷や住み慣れた土地を離れた人も多い。3世代で同居していた福島県の88歳は、息子夫婦や孫と離れて仮設住宅で妻と暮らす。川も丘も、先祖のお墓も、なじんだ距離にあったろう。「住民はばらばらになり、もう帰れない」。悲嘆の声に胸が痛む
▼也有很多人离开了住惯了的土地和故乡。三代同堂的福岛县的88岁老头离开了儿子媳妇和孙子和老伴住在临时住宅。无论是河川还是山丘亦或是祖先的坟墓,曾经都有着熟悉的距离。“居民四分五裂了,已经回不去了”。这声悲叹让人难受。
▼原発の事故は、人の心の距離を隔てもした。避難して他所(よそ)へ移るのか、とどまるのか。放射能への考えの違いで夫婦や家族にもいさかいはあるという。「見えない被害」となって人をさいなんでいる
▼核电站事故也阻隔了人心的距离。是避难迁往他处呢?还是留下?由于对辐射的不同思考,夫妇和家人之间也有吵架。这成了“看不见的伤害”,正折磨着人们。
▼時計の針は戻せない。だが復興とは、あらゆるものとの距離を、人がよりよく取り戻していくことだと思いたい。きのうの追悼の祈り。そしてきょうからはまた、共に歩みながら。
▼时钟的指针是无法倒拨的,然而,仍然希望,所谓复兴就是我们要把与所有物体的距离调整到更好的状态。这正是昨天追悼仪式上的祈祷,以及从今天开始又共同前进的方向。