雪の降るなかを登城した大老、井伊直弼(なおすけ)は行列に斬(き)り込んだ水戸攘夷(じょうい)派の手にかかり、暗殺された。147年前のあす3月3日、「桜田門外の変」である
幕府大老、井伊直弼顶着纷飞的雪花登临江户城,忽被水户攘夷派杀入队伍,惨遭暗杀。这就是147年前的明天即3月3日发生的“桜田門外之变”。
警護していた彦根藩士は刀を雪支度で固めていたため、応戦で後手を引いたと伝えられる。「あす」と書いたが、旧暦をいまの暦に直せば3月24日、あと3週間ほど先の出来事になる
据说,侍从的彦根藩士,因是雪天打扮,刀剑绑得很紧,所以,应战迟了一步。刚才我写了“明天”,但是,如果把旧时日历改为现在的太阳历,却是3月24日、即大约还要三周才发生的事情。
「上巳(じょうし)(3月3日の異称)の大雪めったにない、桜田騒動とほうもない」と俗謡に歌われた。今年のように、暖冬の文字を見かけぬ日のない冬を過ごして3月を迎えると、「めったにない」の文句が実感として伝わろう
通俗歌谣里唱道:“上巳(3月3日的别称)大雪真稀有/桜田骚乱可奈何”。如果象今年这样,无一天不看到暖冬的字眼地,送走冬天,迎来3月,那么,“真稀有”一句倒是颇具实感呢。
気象庁は12月から2月までを「冬」と呼んでいる。東京都心では雪を見ないまま冬が終わった。上巳の大雪から16年後、1876年(明治9年)の観測開始以来、初めてのことという
気象庁一直把12月至2月期间叫作“冬天”。 今年,東京都中心不见下过一次雪就把冬天送走了。据说,这是上巳大雪之后的16年即1876年(明治9年)开始进行气象观测以来的第一次。
積雪量の乏しい東北地方からは、田植えどきの水不足を心配する声も聞こえる。クマの出没、雪のないスキー場、春渇水…「とほうもない」とため息の出る暖冬騒動はまだ終わりそうにない
从积雪量少的東北地区,也传来了对插秧期水量不足的担心。野熊出没、无雪滑雪场、春天干旱……直叫人叹息“可奈何”的“暖冬騒乱”仍没有结束的迹象。
江戸期の俳人鬼貫(おにつら)の句に、「冬はまた夏がましじゃといひにけり」とある。寒すぎれば寒すぎたで愚痴の出るのが人情とはいえ、季節感のめりはりがない日常はやはりさみしい。折り目の崩れた服を着たような、心なしか浮かない気分の弥生三月である。
江戸时期的俳句诗人鬼貫写有这样的句子:“人在冬/心盼夏”。下雪了又抱怨天太冷,虽说这是人之常情,但是,没有季节起伏感的日常生活仍会让人感到若有所失。也许是心理作用吧,这季节象是身穿折痕零乱衣裳的、无精打采的阴历三月。