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鬼、神、蛇の慣用語

作者:来源  来源:外语教育网   更新:2015-9-15 9:29:32  点击:  切换到繁體中文

 

まずは「鬼」


――が住むか蛇(じや)が住むか


(建物の中や人の心の中などに)どんな恐ろしいものや恐ろしい考えがひそんでいるかわからない。


――が出るか=蛇(じや)が出るか(=仏(ほとけ)が出るか)


〔昔、傀儡(かいらい)師が胸にかけた機関(からくり)箱から人形を取り出す前に言った言葉という〕前途の呙斡铚yしがたいことのたとえ。


――が笑.う


現実性のないことをからかっていう語.


「来年のことを言うと―.う」


――とも組.む


(1)勇猛なさまのたとえ。


(2)勇猛ではあるが、物の情を解しない人のたとえ。


――に金棒(かなぼう)


〔ただでさえ強い鬼に金棒を持たせる意から〕強いものがさらに強さを加えること。


――に衣(ころも)


(1)表面はおとなしく見えるが、内心に恐ろしいものを秘めていることのたとえ。狼(おおかみ)に衣。


「形は出家になれども、中々内心は皆―なり/浮世草子.織留 3」


(2)〔鬼は元来裸なので〕不必要なこと、また不似合いなことのたとえ。


――の居ぬ間に洗濯(せんたく)


気兼ねする人やこわい人のいない間に、したいことをしたり、息ぬきしたりすること。鬼の留守に洗濯。


――の霍乱(かくらん)


〔「霍乱」は暑気あたりの意〕いつも非常に健康な人が、珍しく病気にかかることのたとえ。


――の首を取ったよう


(大したことでもないのに)大変な功名.手柄を立てたように思って喜ぶさまのたとえ。


――の空念仏(そらねんぶつ)


無慈悲.邪悪な人間が、表面上は慈悲深くよそおうこと。また、がらにもなく殊勝にふるまうこと。鬼の念仏。


――の女房に鬼神(きじん)がなる


鬼のような冷酷.残忍な夫には、それと釣り合う同じような女が女房になる。似たもの夫婦.鬼の女房に鬼神の亭主。


――の念仏(ねんぶつ)


「鬼の空念仏(そらねんぶつ)」に同じ。


――の目にも涙


冷酷無情な人間でも、時には情に感じて慈悲の心を起こすことのたとえ。


――は外(そと)福は内(うち)


→福は内鬼は外(「福」の句項目)


――も十八番茶(ばんちや)も出花(でばな)


〔醜いとされる鬼も年頃になれば美しく見え、番茶でもいれたばかりのときにはよい香りがする意から〕女の子はだれでも年頃になれば、それ相応にきれいに見え、魅力もそなわるの意。古くは男女いずれにもいった。


――を欺(あざむ).く


〔「あざむく」はしのぐ、の意〕ひどく力が強い、あるいは容貌(ようぼう)が恐ろしいので、鬼かと思うほどである。


「―.く国性爺/浄瑠璃.国性爺合戦」


――を酢(す)にして食.う


恐ろしいものを何とも思わない。鬼を酢につけて食う。


「鬼を酢にさして食はんずる景気なり/盛衰記 37」


そして、「神」


――掛けて


神に誓って。決して。


「―うそは言っていない」「―間違いない」


――と仏は水波(すいは)の隔(へだ)て


神と仏とはちょうど水と波とのようにただ形が違うだけで、もとは同体である。


――ならぬ身(み)


全知全能の神ではない身、すなわち人間.凡夫。


「―では知るよしもない」


――の正面(しようめん)仏(ほとけ)の真尻(まじり)


〔「真尻」は後ろの意〕神棚は正面の高い所に、仏壇は陰に設けよの意。


――の存在証明(そんざいしようめい)


信仰における神の存在を、理性によって哲学的に証明すること。中世のスコラ哲学.近世哲学.キリスト教神学などにおいて試みられた。その形式により、存在論的証明.宇宙論的証明.目的論的証明.道徳的証明などに分けられる。


――の見えざる手


市場経済の自動調節機構をいう語.経済活動を個々人の私利をめざす行為に任せておけば「神の見えざる手」により社会全体の利益が達成される、というアダム=スミスの経済社会思想を示す語.


――は正直(しようじき)の頭(こうべ)に宿(やど)る


神は正直な人間を守る。


――は非礼(ひれい)を受けず


〔論語〕神は、神をまつるべきでない邪悪な人間がまつってもその心を受けない。神は礼儀にはずれた物事は受納しない。


――は見通し


神にはどんなことでも見えているから、偽ることはできない。神仏はお見通し。


――も仏(ほとけ)もない


慈悲を垂れ人を救う神も仏もいない意で、世間の無情.無慈悲などをはかなんでいう語.


最後は「蛇(じゃ)」と「蛇(へび)」


「蛇(じゃ)」


――が蚊を呑(の)んだよう


あまりに少量で、腹の足しにならないことのたとえ。


――の道は蛇(へび)


同類の者は互いにその事情に通じている、ということ。


――は一寸(いつすん)にして人を呑(の)む


蛇は一寸ほどのときから人を呑む勢いを示す。すぐれた人は幼少の頃から他人を圧倒するものがある。栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し。


「蛇(へび)」


――穴に入(い)る


秋になって、蛇が冬眠のために穴にはいる。[季]秋。《―時曼珠沙華赤し/正岡子規》


――穴を出(い)ず


春になって、冬眠からさめた蛇が穴から出てくる。[季]春。《けつかうな御世とかや蛇も穴を出る/一茶》


――に見込まれた蛙(かえる)のよう


恐ろしさに身がすくんで動けないさま。また、大敵にねらわれて、抵抗できないこと。


――の生殺(なまごろ)し


(1)半死半生にして放っておくこと。殺しもせず生かしもしないこと。


(2)物事を、決着をつけないであいまいにしておくこと。



 

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