すっかり冬になってしまえば腹も据わるのだが、冬にさしかかる時期はどこか、太陽が遠くなった心細さがある。日ごとに寒く、夕暮れは早い。紅葉のあとの山野はすがれて、時雨(しぐれ)が通れば趣よりも寂しさがまさる
倘若完全进入了冬季,倒也安定了下来,可就在刚进入冬季的这段日子里,总有一种太阳离我远去的不安。日渐寒冷,日暮提前,红叶过后的山野一片凋零,如果再来一场初冬阵雨,带给我们的更是几多清冷,而绝非任何情趣。
冬の入り口は土地土地で違う。駆け出し記者時代に暮らした北陸は、鉛色の空から降る冷雨に雪がまじった。「いっそ早く真冬になってほしい」と仲間うちでぼやき合ったものだ。片や東京は、乾いた空から吹く季節風が、ビルの谷間でひゅうと鳴る
入冬的景象因地而异,在我刚当记者的年代曾经生活过的北陆,从铅灰色的天空降下的冻雨中夹杂着雪珠。同事们异口同声地嘟囔着,“希望尽快进入隆冬”。而在东京则是另一番景象,干燥的天空中吹来的季风在高楼之间呼啸而过尽显凄凉。
その木枯らしに急(せ)かされるように、木々はいま落葉がしきりだ。風に散って舗道を這う光景には落魄のイメージが重なる。しかしよく見ると、裸になったコブシなど、ビロードに包まれたような花芽をおびただしく光らせている
在此寒风的催促下,树木叶落纷纷。随风飘落的树叶铺满道路,眼前的情景与失魂落魄可谓异曲同工。不过,仔细一看你就会发现,在已经落光叶片的木兰等裸树上,已经长出了数不胜数犹如天鹅绒包裹着的花芽。
秋の落葉こそが「始まり」だと、チェコの国民的な作家チャペックが書いていた。かんしゃく玉のような小さな新しい芽が、枝という枝にぎっしりばらまかれていて、あくる年、それらのはぜる爆音とともに春がおどり出るのだと
捷克的人民作家恰佩克(Karel Čapek)曾在其作品中写道,深秋的落叶才是真正意义上的“开始”,那一个挨一个如同炸炮似的小小新芽紧紧地长在这一条条的树枝上,到了明年,随着它绽破的声音,春天又将欢快地来到我们身旁。
「自然が休養をする、とわたしたちは言う。そのじつ、自然は死にもの狂いで突貫しているのだ」(『園芸家12カ月』中公文庫)。枯れて黙したような身の内に、木々は深く春を抱くのである
“我们都说,自然需要休养。而实际上自然却在疯狂地冲锋向前”(摘引自《园艺家12个月》中公文库出版)。在它那默不作声的凋零了的身体内部,正深深地拥抱着春天。
この週末、天気図は冬の曲線を描いて、北日本は雪景色が広がった。〈寒波急日本は細くなりしまま〉阿波野青畝(あわのせいほ)。はしりから本番へ、今年の冬はきっぱりやって来たようだ。生姜湯でもすすって、腹を据えるとする。
本周末,气象图描画的冬季曲线表明,日本北部一片洁白的雪景。〈高天寒流急,日本太纤细,不必心慌恐,春暖自有期〉阿波野青畝作。从初始到全盛,今年的冬季已经切切实实地向我们走来,你就喝点姜汤之类的暖暖胃,作好与寒冷抗衡的准备吧。