よく知られる「珈琲」をはじめ、コーヒーには数十もの当て字があるという。「可否」もわりと流布していて、獅子文六(ししぶんろく)がかつて「可否道」という、コーヒー好きたちの小説を読売新聞に連載した。
据说,咖啡具有数十个借用字表达方式,其中包括最为熟悉的“珈琲”。另外,“可否”也算是使用得比较广泛的一种,据读卖新闻连载的一部描写咖啡嗜好者的小说记载,狮子文六曾经提出过“可否道”的说法。
作者は「可否」の当て字が好きだったらしく、登場人物に言わせている。「可否が、一番サッパリしているよ。それに、コーヒーなんてものは可否のどちらかだからな」。むろんこの可否は味の良し悪しで、国会審議を抜け出して飲むことの可否ではない。
作者好像很喜欢“可否”这个借用字词组,因此在小说中的出场人物台词里使用着这一词汇,“可否最干脆了,而且,所谓的咖啡只不过是可否的其中之一而已。”当然,此可否指的只是味道的好与坏,而不是指悄悄地离开国会审议而去喝咖啡这一做法的可与否。
さて、その問題に加え、大臣としての可否も問われる田中防衛相である。野党の質問に「国会内でコーヒーを飲まない決意」を神妙に答えた。いい人なのは分かるが、知識を試されるクイズのような質問にもたつく。素人ぶりをあぶり出そうと言論の府もレベルを落としている印象だ。
那么,除了此问题之外,作为内阁大臣,其可与否遭到质疑的是田种防卫相。面对在野党的提问,他巧妙地以“决心国会期间不喝咖啡”作答。尽管知道他是个好人,可是对于类似智力测试那样的提问却并不擅长。而企图使其显露出外行相的言论之府同样也给人留下了水平下降的印象。
防衛と安全保障は一国の大事である。その本流をおいて、脇の水たまりでメダカすくいをしているような論議では情けない。おりしも沖縄をめぐる米軍再編の見直しが動きだしている。普天間問題の、軽くはない局面である。
防卫与安全保障是一国之大事,置其主流而不顾,一味纠缠侧面的水洼子不撒手,争论采用这种水田里捞鱼的做法有些不通情理。正在此时,又出现了重新看待关于冲绳美军改编问题的新动向。这一不可小觑之局面的核心就是普天间问题。
20世紀初めのフランスの首相クレマンソーが、同時代の政治家2人を評して言ったそうだ。「ポアンカレは何でも知っているが、何も分からない。ブリアンは何も知らないが、何でも分かる」。基礎知識のおぼつかない防衛相には、励ましとなろうか?
据说,20世纪初叶,法国首相克列孟梭(Georges Clemenceau)曾经对2位同时代政治家作出过如下的评价,他说:“彭加莱(Raymond Nicolas Landry Poincar)什么都知道,可是什么都不懂;而白利安(Aristide Briand)什么都不知道,可他什么都懂”。不知道这对于基础知识不敢恭维的防卫相来说是不是一种勉励?
何も知らない、何も分からない、が最悪なのは言うまでもない。可か否か。秘書官を代えた効果にわずかに期待してみるが。
什么都不知道,什么都不懂,不用说这当然是一种最坏的情况。然而,究竟是可还是否?还需有待于更换秘书后的效果。