暗殺の季節
東京駅の丸の内口と八重洲口を結ぶ中央通路に、直径5センチほどの丸い目印がある。多くの人が気づかないまま、通り過ぎるか踏みつけていく。 在连接东京站的丸之内和八重洲口的中央道路上,有一个直径约为5厘米的圆形记号。许多人并不曾注意,就这么从走过或者踩踏而去。
少し離れた柱に、「浜口首相遭難現場」という表示板がある。「昭和5年11月14日午前8時58分、内閣総理大臣浜口雄幸は、岡山県下の陸軍特別大演習参観のため……1等車に向ってプラットホームを歩いていた。このとき、一発の銃声がおこり浜口首相は腹部をおさえてうずくまった」 在其附近的柱子上,有一块写着「滨口首相遇难现场」的牌子。「昭和5年11月14日上午8点58分,内阁总理大臣滨口雄幸,为了参观在冈山县境内的陆军特别大演习……首相从月台步往一等车厢。就在此时,一声枪响,滨口首相按住腹部蹲下身去」
東京駅によると、撃たれた場所は、いまの9·10番の東海道線ホームにあたる。ホームが改修を重ねたため、現場の目印は、ホームの真下の通路に移されたようだ。 按东京站的位置来说,首相遭袭的地方,位于现在的9.10号的东海道线月台。由于月台经过反复改建,现场的记号,已经被移到月台正下方的道路之上。
浜口は財政を引き締めるとともに、軍縮と国際協調の外交を進めた。そこを右翼に襲われた。「うむ、殺(や)つたナ」と同時に「殺られるには少し早いナ」と思った浜口は、一命を取りとめる。そして、暗殺に限らず、殺人は「野蛮国若しくは未開国にあつては……幾分(いくぶん)か恕(じょ)すべき点があると思ふのであるが、法治国·文明国に於ては、絶対に容(ゆる)すべからざる重大なる犯罪である」と書いた(「随感録」)。 滨口在缩紧财政的同时,积极地推进裁军及协调的国际外交。他也因此遭到了右翼的袭击。"嗯、到底是遭了黑手"同时他又想到"要取我性命还为时过早呢",抱有这样想法的滨口保住了一条性命。而且他还在书中写到"不仅仅是暗杀,杀人一事如果发生在野蛮国度或者尚未开化的国家……我认为多少开始可以宽恕的。可在我们这个法治。文明之国,则是决不允许的重大犯罪行为。"(《随感录》)
容体が悪化し、翌年8月に死ぬ。それを待っていたかのように、満州事変が起こり、5·15事件、2·26事件と続く。テロと陰謀が渦巻き、およそ法治国·文明国とはいえなくなる。 滨口病情恶化,并于翌年8月离世。好像在等待着首相去世似的,之后满洲事变、5.15事件、2.26等事件接二连三地发生。恐怖活动和阴谋笼罩着整个日本,别说什么法治国家了,甚至连文明之国都无从谈起了。
中央通路から、丸の内南口に回り、改札口を出る。そこにも小さな丸い目印がある。「平民宰相」といわれた原敬がここで刺殺された。浜口襲撃に先立つこと9年、そういえば、これも今ごろの季節だった。 从中央道路,在丸之内南门处拐弯,出了检票口。那里也有个小小的圆形标记。人称「平民宰相」的原敬在这里遇刺身亡。那是发生在滨口遭袭9年前的事情。如此一说,(倒让人想起了)这个事件大约也是发生在如今这个季节。