それでも人生にイエスという
これはある人が強制収容所から生還した翌年に行われた講演の、最後の部分である。
「責任を、そして人生を肯定するのは難しいことです。けれども、あらゆる困難をものともせず、この肯定を行った人たちがいました。
そして、あそこの収容所の囚人たちが、彼らの作った歌の中で、「それでも人生にイエスと言おう」と歌ったとき、それをただ歌っただけでなく、いろいろな仕方で行いにも移したのです。彼らも、そして他の収容所にいた私たちの多くも、同じように行いに移したのです。外面的にも内面的にも口で言えないような条件の下で、それを成し遂げたのです。
とすれば、今日、本当は比べることはできないとはいえ、比較的ましな状況にある私たちが行いに移せないわけがありましょうか。人生はそれ自体意味があるわけですから、どんな状況にもイエスと言うことができるのです。
人間はあらゆることにもかかわらず、まだ強制収容所の運命の下にあったとしてもーー人生にイエスということができるのです。
肯定人生
这是一个从强制收容所重获新生的人,在第二年的演讲中的最后一段话。
“肯定责任与人生是件很困难的事情。虽然如此,也依然存在着一些漠视困难,以积极态度坚定活着的人们。
在那个收容所里的人们,当演唱起《尽管如此我们还要肯定人生》这首歌时,他们不光只是唱唱,他们还将这样的信念付诸到了实际行动中。他们,还有收容所里其他拥有同样命运的人们,都把这样的信念付诸行动。在无论对内对外都难以言表的困难条件下,他们做到了。
因此,今天,虽说不愿去比,但是在这样优越的条件下的我们,有什么资格说做不到呢?天生我材必有用,人生本身就是有意义的。所以,无论什么样的条件下,我们都要勇敢的肯定人生。
人类,无论身处何种境遇,即便遭遇被强制拘留的命运——我们都不能否定人生。