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陈凯歌电影名的日语说法

电影名:荆轲刺秦王


日语译名:始皇帝暗殺


太史公笔下的故事所描述的,不单单是两个人物之间激烈而戏剧性的冲突,更是对君主意识的一次挑衅。日本人君主意识很强,此译法也符合其思维模式。相应的,欧洲人更喜欢考量大人物和小人物的命运对比,片名则被译成“皇帝与刺客”。


日语故事简介:


紀元前3世紀·戦国時代の中国。依頼を受けた1人の刺客が刀匠の一家を皆殺しにした。最後に盲目の娘を殺した刺客は、自らの生業のむなしさを悟る。刺客の名は荊軻といった。一方、後に始皇帝となる秦王·政は天下統一の事業を進めていた。政が趙の人質だったころからの幼馴染であり、今は自分が秦の人質となっている趙姫は、政と互いに惹かれあっていたが、秦の攻撃で趙に戦火が及び故郷の地で殺戮が繰り広げられることを恐れてもいた……


电影名:无极


日语译名:PROMISE 無極


本片描述了一个冰冷残酷的世界,生活在这个世界里的人都游走于名利和理想之间……


日语故事简介:


舞台は「3000年前の未来」。戦で親を失い、絶望的状況に置かれる少女の前に運命をつかさどる女神?満神が現れる。少女に「欲しいものは何でも手に入る」約束をするが、そのかわりに「真実の愛は得られない」という。うなずいた女の子は数年後、世界でいちばん美しい王妃?傾国となっていた。一方、反乱の企てから王を守ろうと、大将軍?光明は天下一の俊足の奴隷·崑崙と城へと向かっていた。


城では、王の腹心の部下である侯爵·無歓があの手この手を使って傾国を我が物にしようと企んでいた。 刺客?鬼狼が放たれたが、鬼狼と崑崙は共に「氷雪之地(スノーランド)」の者だったので崑崙を逃がし、自ら着ていた「黒衣」を与えてしまう。時空間を超え、死さえも超越できる「黒衣」のない鬼狼は死んでしまう。「黒衣」を纏った崑崙は、運命を脱するために、満神と約束した「あの時」へと傾国を戻すために走る。


电影名:梅兰芳


日语译名:花の生涯~梅蘭芳~


全片结束时,黎明扮演的梅兰芳,一袭白衣,朝着众多仰慕者微微欠身,轻声道:“谢谢大家,都别跟着了,我要去扮戏了”,有如“花”一般的姿态。


日语故事简介:


京劇の名門に生まれた梅蘭芳は、早くに両親を亡くし、伯父に育てられる。だが、伯父は些細なことで罪に問われて処刑されてしまう。蘭芳に励ましの手紙を残して。10年後、清朝崩壊後の中華民国。女形として活躍していた梅蘭芳(ユイ·シャオチェン)は、伝統に縛られず、京劇に現実感を持たせるべきだとする政府高官の邱如白(スン·ホンレイ)に共感。2人は義兄弟の契りを交わす。だが、伝統を重んじる師匠の十三燕(ワン·シュエチー)はそれを快く思わず、2人は劇場で対決することに。序盤、苦戦した蘭芳だが、観客の心を掴んで勝利する。数年後、スターとして円熟期を迎えた蘭芳(レオン·ライ)は、邱とともにアメリカ公演を計画……




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有人说,陈凯歌的成就首先在于其高度的人文精神,对人的本体与人的生存状态的关注。他善于剖析历史和传统的重负对人精神的制约与影响,展现人的复杂性,同时针砭不合理的非人道的人性弱点。他的影片充满了对更和谐、更明智的人类生存状态的关切与向往。那么,陈导的影片在日本上映时所用的译名如何体现其极具内蕴的人文主题的呢?


电影名:覇王別姫


日文译名:さらば、わが愛


《霸王别姬》是陈导最灿烂的一次演绎,看罢全剧,你会禁不住长叹“人生如戏,戏如人生”。日语译名中,“さらば”是“それならば·それでは” 的古语表示,在小编看来,“さらば、わが愛”恰到好处地道明了程蝶衣(张国荣饰)“我本女娇娥”的被动怅挽。要是将此译名再直译成中文“再见我的爱”,又少了些流转牵挂。


日语故事简介:


1930年代の中国?北京。娼婦の私生児である小豆子は、半ば捨てられるように京劇俳優養成所に預けられる。娼婦の子といじめられる小豆子をことあるごとに助けてくれたのは、先輩の石頭。やがて小豆子は、石頭に同性愛的な思慕を抱くようになる。


成長した2人は、それぞれ程蝶衣(小豆子)と段小楼(石頭)という芸名を名乗り、『覇王別姫』 で共演しトップスターになる。蝶衣は少年時代と変わらず小樓を想っていたが、日中戦争が激化し始めた頃、小楼は娼婦の菊仙と結婚。深く傷ついた蝶衣は同性愛者である京劇界の重鎮?袁四爺の庇護を求め、小楼との共演を拒絶する。


再び時代は変わり、1960年代。中国全土に文化大革命の嵐が吹き荒れる。京劇は堕落の象徴として禁止され、俳優である蝶衣と小楼も世間から虐げられるようになり、蝶衣、小楼、菊仙の3人は、精神的に極限まで追い詰められる。彼らの互いへの愛憎と裏切りの連鎖の果てには、大きな悲劇が待ち受けていた。


电影名:風月


日语译名:花の影


整部影片旨在通过一个爱情悲剧来表达作者对人性的反思。古色古香的东方式情调如“花”般绽放,旧中国的风雨飘摇和满目创痍却如“影”随形,《风月》的美学也许正在这“花の影”之中。


日语故事简介:


1911年。辛亥革命で清王朝は崩壊。だが富豪のパン家では主人一族が阿片に浸り、麻雀を楽しむ生活が続いた。当主の嫡子正達(チョウ·イエマン)の妻秀儀(ホウ·サイフェイ)の弟で、孤児になった忠良が屋敷に来て、当主の娘如意とその遊び相手の端午と友達になった。彼は姉夫妻の身の回りを手伝うが、阿片中毒の彼らに性的虐待を受ける。ある晩、彼は正達の阿片パイプを準備したあと、家を飛びだして北京に向かった……


电影名:边走边唱


日语译名:人生は琴の弦のように


影片讲述的是生活在谎言中的顽强和生命,是对社会和过去的深沉反思,也是对一个过去的世界的关注。盲童用琴声和音乐构建着一个光明的未来,而人生也许就像“琴弦”,需要他踏遍穷山恶水,唱尽千古苍凉。


日语故事简介:


昔、中国に三弦琴を演奏し歌う2人の盲目の旅芸人がいた。年老いた師匠(劉仲元)は先代の師の教えを信じていた。それは一生を楽の音に捧げ、弦を1000 本弾き切ったときに、琴の中に入れた処方箋が効力を表わし、目が見えるようになるということだった。彼は弟子のシートウ(黄磊)とともに村から村へと彷徨し、修行を積み、あと少しで1000本の弦を弾き切ろうとしていた。ある日、2人は黄河の瀑布のほとりの馴染みのうどん屋を訪れた後、荒れ狂う河を渡って辺境の村にたどり着いた。村人たちにとって、師匠は神のような存在であった。たった1曲の歌で、村同士の戦いを鎮め、調和をもたらすほどの力を彼が持っているからだ。一方、シートウは、村の少女·蘭秀(許晴)との恋に夢中になっていた……


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