一、蛙(かえる)の子は蛙:有其父必有其子;苦瓜藤上生苦瓜;鸡窝里飞不出凤凰
误用例 :先生の御子息(ごしそく)が先生になられたのですか、やはり蛙の子は蛙ですね。
解说 :「蛙の子は蛙」的意思是蝌蚪的外形虽然和双亲差别很大,但日后也会长成和父母一个样子的,比喻大多数孩子将来也会走和自己父母同样的路,或者说平凡人的孩子终究是平凡人。(严格来说,后两种翻译更贴切。)可以看出,这句话是不带褒义的,所以多用于自谦或同辈之间,而像误用例那样直接对老师说,就是把理应表示尊敬的老师比喻成了微小的青蛙,显得很失礼。
二、風花(かざはな):雪花,飞雪,清雪
误用例 :桜の木の下では盛んにビールや酒が酌み交わされ、風花がそのコップの中にも舞い落ちていた。
解说 :「風花」有三种意思:1.晴天里纷纷洒落的细雪;2.从上风向的地方被风吹来的的细雪;3.初冬时节起风时淅淅沥沥地下起了小雨或者小雪。误用例中明显是把「風花」误解成了“风中散落的花瓣”的意思,若改成「風に吹かれた花びらがそのコップの中にも舞い落ちていた」,就不会让人觉得别扭了。
三、かっぱ(河童)の川流れ:淹死会游泳的;智者千虑,必有一失
误用例 :あの川を泳ぎ渡ることなど、かっぱの川流れでいとも簡単さ。
解说 :「かっぱ(河童)の川流れ」的字面意思是即使是在水中畅游自如的河童,有时也会被河水冲走,比喻は某个领域的名家有时也会出现错误。比如说,我们可以这样用:「自動車教習所の先生がハンドル操作を間違えて事故を起こしたそうだ」「それではまるでかっぱの川流れではないか」。这与「猿も木から落ちる」「弘法にも筆の誤り」时同样意思的。误用例中,是把这个惯用句误解成了“轻松地渡江”的意思来用了。
四、枯れ木も山のにぎ(賑)わい:(虽然无聊)有胜于无
误用例 :先生、枯れ木も山のにぎわいと申しますから、年末のパーティーにはぜひ出席なさってください。
解说 :「枯れ木も山のにぎ(賑)わい」原本的意思是枯树也能给山头增添情趣,用来比喻某人或某事物虽然没什么意义,但存在的话能显得没那么寂寞、冷清。于是,这又是一个多用于自谦的惯用句。我们可以这么说:「私も年ですっかり足腰が弱ってしまいましたが、枯れ木も山のにぎわいでやってきました。」要是像误用例那样用的话,便把理应表示尊敬的老师比喻成了“(没有意义的)枯木”,这有多失礼,从汉语也能体会到了吧。