「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸が今年も待ち遠しい。きのうは秋雨の話を書いたが、関東などは厳しい残暑が居座った。私感だが、残暑は真昼よりも西日がこたえる。斜光を浴びる人々も風景も、夏の疲れを引きずって見える。
“寒暑都有尽”的尽头,今年也如往年一样让人翘首企盼。虽然昨天写了秋雨的话题,但是关东等地依旧处于闷热的残夏之中。虽然是我个人感觉,觉得夕阳比白昼更能反映这残夏。沐浴在西沉日光里,无论是人还是风景,都能看拖着夏日的疲倦的痕迹。
それでも日が落ちると、草むらで秋の虫たちが弦を弾く。リーリーと奏でるのはコオロギだろう。ゆっくりだが、「もののあはれ」の季節へと自然の舞台は巡っている。
即便如此日落后,在草丛里秋天的虫子们弹起了音乐。哩哩弹奏的是蟋蟀吧。虽然姗姗来迟,但自然的舞台正在转向“万物萧瑟”的季节。
鳴く虫たちは古来、人に親しい存在だったらしい。〈七月 野に在(あ)り/八月 宇(のき)に在り/九月 戸(と)に在り/十月 蟋蟀(しっしゅつ) 我が牀下(しょうか)に入る〉と中国最古の詩集「詩経」にある。秋が深まるにつれて野から軒下へ、戸口へ、そして寝床にもぐり込んでくる、と。
鸣叫的虫子们,自古以来就和人非常亲近。“七月在野,八月在天,九月在家,十月钻入我床下”,这首诗歌记载在中国最古老的诗集中。随着秋日渐深,虫子们从野外到廊下、到门口,以及钻入我们的睡床下,大致意思是这样的。
日本では、コオロギの鳴き声は「針刺せ、糸刺せ、つづれ刺せ」と聞きなされてきた。現代人にはとてもそうは聞こえないが、冬着の繕いを促し、寒い季節に備えよと知らせたかと思えば、秋の夜の「あはれ」はいっそう深い。
在日本,会把蟋蟀的叫声听成“穿针、引线和缝衣”。现代人虽然听不出这些,但是一想到是不是催促人们缝制冬衣、准备冬季,就感觉秋夜的“萧瑟”益发浓郁。
虫たちを写真で網羅した近刊『バッタ・コオロギ・キリギリス生態図鑑』には、各種のバッタ、コオロギの顔がずらりと並ぶ。〈こほろぎのこの一徹の貌(かお)を見よ〉山口青邨。黒光りする顔々は、人間よりはるかに知恵者に見えて恐れ多い。
在网络了虫子们照片的近期刊物《蝗虫、蟋蟀和蝈蝈的生态图鉴》中,登载了各种蝗虫和蟋蟀的照片。山口青邨吟道,“细观蟋蟀,可知其坚持”。散发着黑色光芒的面容,是远比人类聪慧的生物,真让人惭愧不已。
撮影者の一人伊藤ふくおさん(64)によれば、これまでは当たり前にいたのに、近年は見つけづらくなった種類もあるそうだ。蝉(せみ)の合唱から、虫たちの弦楽へ。普通のことが普通にある尊さにひとしお感じ入る、今年の秋だ。
根据摄影师伊藤先生(64岁)介绍,据说本是司空见惯的种类近年来也很难看到了。从蝉的合唱到虫子们的弦乐。今年秋日,又一次感受到普通的生物有着其应有的普通尊严。