柔らかい人が堅い職を選ぶ。ままある話だが、これだけの肩書を連ねてなお、柔らかさを保てた人は少ないだろう。刑事法学の大家で、最高裁判事や宮内庁参与を務めた団藤重光(だんどう・しげみつ)さんが98歳で亡くなった
▼戦中、学者の一人として東条首相に招かれ、官邸で中華料理を供されたことなど、長い職歴を語る逸話は多い。刑事訴訟法の生みの親でもある。東大の教え子だった三島由紀夫は、刑訴法の「整然たる冷たい論理構成」に魅せられ、「小説や戯曲のお手本に思われた」と記している
▼战时,团藤先生作为一名学者受到东条首相的招待,并在首相官邸中与其共享中华料理等,其职业趣闻可圈可点。先生还是刑事诉讼法之父。他在东大的弟子三岛由纪夫曾撰文写道,自己被刑事诉讼法的“严谨而冷漠的逻辑构成”所吸引,并“以此作为小说和戏曲创作的典范”。
▼先生10多岁时,曾仰望满天繁星,为地球及自己的渺小而感到绝望。从其板正的姓名和经历中很难想象,其细心与后来的自由主义志向以及深受皇族喜爱的温和宽厚的品质密不可分。
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