中国北部山西省に位置する平遥古城は1997年にユネスコから「世界の文化と自然遺産」に指定されました。世界遺産委員会は、「平遥古城は、中国に現存する最も完璧な古城で、中国歴史の発展の中で、優れた文化、社会、経済及び宗教発展の姿を示している」と評価しました。
平遥古城の城壁は、2800年前から建造されはじめましたが、当時は粗末な土壁でしたが、1370年にレンガで立て直され、現在に至っています。城壁の全長は6000m以上、高さは12mです。城門は東西が二つずつ、南北が一つずつ、全部で六つの門があり、どの城門も外に突き出て、内外二つの門があり、亀の形をしているため、「亀城」とも呼ばれました。中国の伝統的文化で亀は長寿の象徴です。このほか、六つの城門には、いずれも高くて大きな城楼があります。
城壁に囲まれた町の中では、高さ20mの壮麗な「市楼」を中心に、大通り四本、曲がりくねった狭い道が72本縦横に交差しています。町の中にある4000軒余の古い民家のほとんどは、明と清の時代に立てられたもので、すべて青いレンガと灰色のかわらで造られた四合院です。壁の高さは7、8メートルに達し、地元の特色が目立ち、そのうち400ヵ所はよく保存され、いままで漢民族が住んでいる地区でよく保存された完璧な古代住民住宅群です。町の中にはまた、規模の異なるお寺や老舗もあり、明と清の時代の繁華街の姿を表しています。
平遥古城は、中国の近代金融史上における特殊な地位を持っており、1824年、中国初の近代銀行の形を備えた「日昇昌」銭荘はここに建てられ、為替手形で伝統的な現金支払い制度を改めました。その後「日昇昌」銭荘の業務は中国だけでなく、日本、シンガポール、ロシアなどの国にも広げられ、「天下第一号」と称されました。「日昇昌」票荘の誕生によって、平遥県の金融業が急速に発展し、当時中国の銭荘業務額の半分を占め、中国金融業の中心となりました。