いまの時代なら誰にたとえられるか、斎藤緑雨(りょくう)は明治時代に毒舌の評論で鳴らした。簡潔な警句の数々は切れ味抜群、〈涙ばかり貴(とうと)きは無しとかや。されど欠(あく)びしたる時にも出(い)づるものなり〉というのもあってニヤリとさせられる
当今时代谁人能与其相提并论?明治时代斋藤绿雨以其毒舌般的评论名声大振。一段段简洁的警句锋芒毕露非同凡响。更有〈并非唯有泪水贵,哈欠连连时有之〉之类的佳句总能博得你会心一笑。
鳩山由紀夫元首相が引退するとの報道に、緑雨の警句の一つが胸に浮かんだ。〈無邪気は愛すべく、無責任は憎むべし。されども無邪気は、無責任の一種なり〉。1世紀も前の言葉だが、鳩山さんのこのかたの言動を突くような冴えがある
面对有关原首相鸠山由纪夫隐退的报道,绿雨的警句又一次浮现在我的脑海。〈应该爱其天真,恨其不尽责。可是殊不知天真亦是一种不尽责〉。尽管这已是1个世纪之前的话了,可仍然具有抨击鸠山先生任职以来所言所行的犀利。
不信を決定づけた普天間問題の独り相撲も、「よかれと思って」やった結果だった。首相を辞めたときは引退を表明したのに撤回した。あれやこれや、どこか宇宙人的な「無邪気」が抜けきらずに、政治をかき回すことが目立っていた
在民众心目中造成不可信任结果的普天间问题上所表演的自弹自唱也是因为其“意气用事”的结果。虽然在辞去首相职务时就已表明了隐退的想法,可后来又收了回去。这一桩桩一件件,让人们清楚地看到了他总是在摆脱不了外星人般“天真”的情况下施行着政治。
タカ派的な主張が幅を利かせる今、友愛を説く鳩山流の理想主義は貴重だ。リベラルの灯台であってほしいのだが、民主迷走の象徴になってしまった。そしてまた、お騒がせの引退である
在鹰派主张的势头不断扩大的今天,诉求友爱的鸠山派理想主义则更显得弥足珍贵。虽然希望他是一盏自由主义的灯塔,但结果却成了民主(党)迷失方向的象征。而且,这次隐退也闹得是满城风雨沸沸扬扬。
鳩山さんの顔が大きく刷られたマニフェストは総崩れの状態になり、次を問う政権公約が各党から出始めた。今の多党乱立を見れば、「鳩山版」は2大政党時代の懐かしい記念品になるかもしれない
印有鸠山先生大头像的政权宣言即将彻底崩溃,于是,问鼎下届的政权公约开始纷纷从各党出炉。纵观当今多党林立争权夺利的局势,兴许这“鸠山版”还真能成为一件2大政党时代令人怀念的纪念品呢。
〈正義は呼号すべきものなり、印刷すべきものなり、販売すべきものなり。決して遂行すべきものにあらず〉。緑雨の反語的皮肉は、「正義」を「公約」に置き換えれば各党への牽制となろう。ひとりの政治家を見送りつつ、よく吟味したい。
〈正义是一个应该为之呐喊,并大量印刷宣传及到处兜售的东西,可就是不能坚决执行的东西〉。绿雨的这番正话反说的讽刺,如果将“正义”置换成“公约”的话,或许能对各党形成牵制。希望在送别这位政治家的同时能好好地品味一番。