先週の朝日俳壇に、清冷かつ揺るぎない句があった。〈大根引く大地偽りなかりけり〉。作者の枝澤聖文(えだざわ・きよふみ)さんが詠んだのは土の力だという。丹精した畑は裏切らない。手にする恵みの、何という白さ。
上周的朝日俳坛里有一首清凉且坚定不移的俳句,<拔出萝卜有根须,怏怏大地无伪虚>。作者枝泽圣文先生所吟诵的正是土地的力量。进行耕作的农田是不会辜负你的,攥在手里的这份来自上天的恩赐是多么的洁白无瑕。
根菜の季節である。通年で出回るダイコンやニンジンも滋味を増す。サトイモ、カブ、レンコンあたりを乱切りにして炊けば、和洋中どんな味つけでもうまい。地中で肥える野菜たちのほっこりした土の匂いこそ、偽りなき大地の刻印だ。
又到了吃根菜的季节。如今一年到头都有上市的白萝卜以及胡萝卜也为我们增添了口味。将芋艿、芜菁、莲藕等根块植物切碎并煮熟,然后无论再添加和式、洋式或中式的任何口味,感觉都不错。吸收大地精华而成长的蔬菜,其喧腾腾的土地气息正是大地它货真价实的印记。
作家水上勉さんが随筆の中で、料理番組の板前さんに注文をつけている。小芋の皮のむき方が厚すぎると。「これでは芋が泣く。というよりは……冬じゅう芋をあたためて、香りを育てていた土が泣くだろう」
作家水上勉先生在其随笔中讲述道,对料理节目的厨师特别指出说,他的芋头皮削得太厚,“这么个削法,芋头会哭的。而且,一冬天呵护着芋头,培育它成长为香喷喷之食物的土地就更要哭泣了。”
ゴボウの芳香にしても、皮に近いほど深いという。大地と「交感」してきた証しである。そうした履歴もろとも食すのが、けんちん汁でも筑前煮でも、旬に対する礼儀のように思う
据说,就牛蒡而言,越是接近表皮芳香味就越浓重,这是与大地“交流感应”的明证。无论是做卷纤汁还是筑前烧煮,连同这部分经历一并食用被认为是出于对菜季的礼仪。
何にせよ、寒さに耐えたものには凜とした強さが宿る。ふきのとうの苦みや、雪割草の若紫が五感に染みるのは、越冬の喜びと響き合うからだろう。酷寒の先の安息を願い、心は凍てつく被災地に飛ぶ。仮の宿でも、鍋いっぱいの根菜が湯気を立てていようか。
不管怎么说,经历过寒冷的植物中凝聚着凛凛霸气的强劲。蜂斗菜(Petasites japonicus)新芽的苦涩以及报春草(Primula modesta)的嫩紫所给予我们五官的感受和越冬后的喜悦形成了一支交响曲。我们期盼着严寒过后的安逸,心早已飞到了病天雪地的灾区。不知道在那些临时性住宅里,是不是都有一锅锅热气腾腾的根菜烧煮。
寒あれば暖があるように、天地がもたらすのは災いだけではない。一周忌が営まれる頃には、南から柔らかな陽光が戻り、地の恵みを重ね着したタケノコが出る。悲しみにひと区切りはないけれど、手を携えて前に進みたい。まっさらの春が待つ。
正如同有寒冷就会有温暖一样,天地带给我们的不都是灾害。到了筹办一周年纪念的时候,南方柔媚的阳光又将会来,并且还会生长出沐浴着阳光吸收着大地精华,接受这双重呵护的竹笋。悲痛中虽然并不存在阶段,但是我们却将携手前进。新的春天在等待着我们。