まさか、自分が日本語を勉強するなんて夢にも思いませんでした。以前、ずっと高校の先生になろうと思ていました。でも、大学入学試験が失敗したので、日本語を選びました。高校時代の時、私は日本語のデスノートと言う映画を見たことがあります。松山健一と藤原竜也主演のとても教育的意義があると思います。松山健一が一番かっこういいと思います。この時私は日本人が好きになりました。日本語に興味を持っていました。日本は中国の隣りです。日本の経済発展ずいぶん早いです。昔時、日本人は中国の文化を学び取り入れていました。でも、近代日本の経済発展スピードは中国を超えていました。日本では産業の発達とともに交通発達してきました。明治維新からの大きな改革と日本高度経済成長期に入りました。鉄道が初めて開通したのは、明治維新から、四年後の一八七二年東京と横浜の間でした。
日本は現在世界第二の経済大国となりました。三菱、とシバ、ソニー日産、カオ三洋などブランドは世界で有名です、戦後、日本の経済発展はずいぶんが早かったでのは、日本人が勤勉たっだからです。大学に入った時日本語の勉強はあまり難しくなかったのに、だんだん難しくなりました。最初、日本語の授業は少なかったですが、白先生は私たちのいい成績を上げるために、毎日私たちに練習させて、授業数も多くなりました。最初なれなかったので、大変でした。でも、外国語の勉はすることはずっとしっかり勉強は大切です。毎日疲れるが一所懸命単語を覚えましたが、翌日覚えた単語ほとんど忘れてしまいました。それで、何度も同じ単語をおb終えています。文法も複雑たっだので、よく白先生と松野生に聞きますが、分からない,部分がたくさんあります。そして、自分訂正させてから、何度も書き直しました。聴解と会話の練習もしました。難しいけれども、ずっと毎日練習しています。
期末試験の成績はよくありませんでした。日本人のような話せませんでした。以前、毎日エムピフを聞きながら、読みます.のどが痛くなることがよくあって、効果はよくありませんでした。悲しかったがしっかり勉強することができます。
日本語との出会いは私によって人生の中で一番大きな挑戦だと思います。