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三 四十余名の殺された青年の中で、劉和珍(リゥホーチェン)君は私の学生であった。学生というものについて、私はこれまで、こうこういうものだと考えたり、いったりしてきたが、それを今ではかなり躊躇を覚えるようになった、私は彼女に対してつつしんで私の悲しみと尊敬とをささげねばならない。彼女は「かりそめに現在まで生きた私」という学生ではなくて、中国のために死んだ中国の青年だ。 在四十余被害的青年之中,刘和珍君是我的学生。学生云者,我向来这样想,这样说,现在却觉得有些踌躇了,我应该对她奉献我的悲哀与尊敬。她不是“苟活到现在的我”的学生,是为了中国而死的中国的青年。 彼女の姓名を、はじめて私が見出したのは、去年の夏の初、楊陰楡(ヤンインユー)女史が女子師範大学校長になって、校内の六人の学生自治会役員を退学にした時である。その中の一人が彼女であった、ただし私は顔は知らなかった。ずっと後になって、あるいはもう劉百昭(リウパイチャオ)(章士釗の手下で、当時の教育局長)が男女の武将(さむらい)を引きつれて、むりやり学生を校外に引きずり出した後であったかも知れないが、ある人が一人の学生を指して私に教え、あれが劉和珍だといった。そのとき私ははじめて名前と顔とを結びつけることができたが、心の中ではどうも訝(いぶか)しく思った。私は平素から権勢や利益のために屈せず、配下をたくさんもっている校長に反抗する学生は、いずれにしても、とにかく激しく鋭いところがあるはずだと思っていたが、しかし彼女はいつもにこにこしていて、態度はとても物やわらかであった。宗帽胡同(ツォンマオホートン)(女子師範大学を追われた学生たちの假校舎がそこにあった)に一まず落ちついて、家を借りて授業をするようになってから、彼女ははじめて私の講義を聞きにくるようになり、それで顔をあわせる回数もやや多くなった、やっぱり終始にこにこしていて、態度はとても物やわらかであった。学校が元の姿をとり戻して、前の教員が責任はもう終ったと、続々引退の準備をする時になって、私は彼女が母校の前途を心配して、悲しがって涙を流すのを見た。その後はあわなかったように思う。要するに、私の記憶の中では、その時が永い別れになった。 她的姓名第一次为我所见,是在去年夏初杨荫榆女士做女子师范大学校长,开除校中六个学生自治会职员的时候。其中的一个就是她;但是我不认识。直到后来,也许已经是刘百昭率领男女武将,强拖出校之后了,才有人指着一个学生告诉我,说:这就是刘和珍。其时我才能将姓名和实体联合起来,心中却暗自诧异。我平素想,能够不为势利所屈,反抗一广有羽翼的校长的学生,无论如何,总该是有些桀骜锋利的,但她却常常微笑着,态度很温和。待到偏安于宗帽胡同,赁屋授课之后,她才始来听我的讲义,于是见面的回数就较多了,也还是始终微笑着,态度很温和。待到学校恢复旧观,往日的教职员以为责任已尽,准备陆续引退的时候,我才见她虑及母校前途,黯然至于泣下。此后似乎就不相见。总之,在我的记忆上,那一次就是永别了。 四 私は十八日の朝早く、午前に群衆が執政府へ請願することを知った、午後になって凶報がもたらされた、衛兵隊がついに発砲して、死傷者数百人に上り、そして劉和珍もその殺害された者の中に入っているというのである。だが私はこの噂については、かなり疑問があると思った。私はこれまで最もひどい悪意をもって中国人を推測することを無遠慮にやってきたが、しかしながらこれほどまでに下劣凶暴であろうとは、思いもよらなかったし、また信じもしなかった。まして、終始にこにこして、おとなしい劉和珍(リウホーチェン)君が、端(はし)なくも執政府の門前で血を流すようなことになろうとは! 我在十八日早晨,才知道上午有群众向执政府请愿的事;下午便得到噩耗,说卫队居然开枪,死伤至数百人,而刘和珍君即在遇害者之列。但我对于这些传说,竟至于颇为怀疑。我向来是不惮以最坏的恶意,来推测中国人的,然而我还不料,也不信竟会下劣凶残到这地步。况且始终微笑着的和蔼的刘和珍君,更何至于无端在府门前喋血呢? だがその日のうちに、それが事実であることは証明された、証明したのは彼女自身の死骸である。もう一体あって、それは楊徳群(ヤントーチュン)君であった。そしてまた、それは単に殺害されたというだけでなく、はっきり虐殺であることが証明された、身体に棍棒の傷痕(きずあと)があったからだ。 然而即日证明是事实了,作证的便是她自己的尸骸。还有一具,是杨德群君的。而且又证明着这不但是杀害,简直是虐杀,因为身体上还有棍棒的伤痕。 だが段(トァン)政府は逮捕令を出し、彼女たちを「暴徒」といった! 但段政府就有令,说她们是“暴徒”! だがやがて流言がおこり、彼女たちは人に利用されたのだという。 但接着就有流言,说她们是受人利用的。 惨状は、見るに忍びないものがあるが、流言は、とくに聞くに忍びないものがある。私に何のいうべきことがあろうか? 私は衰亡する民族の、黙して声なき理由を知った。沈黙よ、沈黙よ! 沈黙の中から爆発するのでなく、沈黙の中に滅亡する。 惨象,已使我目不忍视了;流言,尤使我耳不忍闻。我还有什么话可说呢?我懂得衰亡民族之所以默无声息的缘由了。沉默呵,沉默呵!不在沉默中爆发,就在沉默中灭亡。 |
鲁迅《记念刘和珍君》(日汉对照)(2)
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