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秋
秋日的早晨天气已变凉。沉甸甸的稻穗在风中不住地摇晃着脑袋,北风吹来就偏向南面,南风吹来就偏向北面,沙沙、沙沙地开始发出寂寞的笑声。一场秋雨,哗哗地,猛烈地下了一夜。第二天好一个响晴,晴得天空中好象连一丁点儿微尘也没有,远山也显得近了,轮廓分明,清晰可见。阳关透过湿润、安稳的空气照射下来,暖洋洋、热乎乎,仿佛要抹在人的身上。云雀被这样的日子所骗,以为春天已到,于是在三棱形的穗粒一个劲儿地疯长的大片的白茫茫的荞麦田,以及旱田的上方唱着歌。然而,可能是翅膀的鼓动已有些迟钝,它已不能像在春天里那么高飞了,在空中低低地徘徊着,唱响它那沙哑的歌喉。
长冢 节 《土》
作者介绍:
长冢 节(1879~1915)诗人,小说家。号樱芽、青果。茨城县出身。入水户中学,后因神经衰弱而退学。文学素质得自于母亲。幼年时母亲便教他百人一首。明治31年,为正冈子规的《至短歌爱好者书》所打动,明治33年,22岁时成为子规的门人。除短歌外,还受到了俳句、散文写作的指导。之后,加入了以伊藤左千夫为中心的《马醉木》的同人,并参加了《紫衫》的发刊。他的风格崇尚写实、清澈有品位。他躬耕田野、栽培竹林、研究堆肥,在从事农业改良的同时写作短歌、短歌评论以及小说。晚年患喉头结核,创作了可谓是他的诗风集大成的《如针》232首,发表于《紫衫》,年仅36岁便告别了人世。主要作品有歌论《东歌谈余》、《写生歌杂谈》,小说《土》、《掘芋》、《烧碳女》等。
原文:
秋
秋も朝は冷ややかになった。稲の穂は北が吹けば南へ向かいたり、南が吹けば北へ向かいたりしてその重そうな首を止まらず動かしてはさらさらと寂しく笑い始めた。強い秋の雨が一夜ざあざあと降った。次の日には空は些かの微粒物も止めないといったように凄いほど晴れて、山もめっきり近くなっていた。しっとりと落ち着いた空気を透かして、日光が妙に肌へ揉みこむように暖かで且つ暑かった。春のよう様な日に騙されれ雲雀は、そっけない三菱形の種が膨れつつまだ一杯に白い蕎麦畑やそれから陸稲畑の上に囀った。それでも幾らか羽の運動が鈍くなっているのか春のようではなく低くさまようてしゃがれた喉を鳴らしている。
長塚 節 「土」
作者紹介:
長塚 節(1879~1915)歌人、小説家、号桜芽、青果。茨城県の生まれ。水戸中学を神経衰弱のため中退。節の文学的資質は母かたより受け継いだものである。幼少時、百人一首を母から教え込まれた。明治31年、正岡子規の「歌詠みに与ふる書」に感銘し、同33年、22歳で子規の門人となる。短歌はもとより俳句、写生文の指導をも受ける。のち、伊藤左千夫を中心とする「馬酔木」の同人となり、さらに「アララギ」の発刊に参加した。作風はあくまでも客観的は写生の境に徹し、冴えと品位とを有する。自ら田畑に出て、竹林の栽培、堆肥の研究、農事改良に力を尽くす傍ら、作歌し歌論および小説を書いた。晩年は喉頭結核を宣告されながら、「アララギ」に彼の歌風の総決算とも言うべき「鍼の如く」232首を作り、36歳の若さでなくなった。主な作品には、歌論「東歌余談」、「写生の歌について」、小説「土」、「芋ほり」、「炭焼きの娘」などがある。