京言葉の「そやさかいに」は、関東で「そうだから」にあたる。「そやさかいに」の「そや」の部分は「そうや」が短縮した形で、「そうだ」あるいは「そうじゃ」と同じ意味である。京言葉の歴史をたどると、「そうだ」が最も古く、次に「そうじゃ」となり、いまでは「そうや」が支配的になった。
京都方言里的“そやさかいに”相当于关东地区的“そうだから”。“そやさかいに”的“そや”部分是“そうや”的省略形式,意思与“そうだ”或“そうじゃ”是同样的。追溯京都方言的历史,“そうだ”年代最古,其次演变为“そうじゃ”,到了现在“そうや”成为主要的表达。
「さかいに」と「から」は、字面上は繋がりが感じられないので、別々の語源を有するのかと、長い間思っていたが、どうやらこの二つは共通の語源からできたようだと思うようになった。
“さかいに”(接助词,相当于“から”或“ので”)和“から”在字面上看不出有什么联系,长期以来笔者都认为,两者拥有不同的语源,然而现在则改变了看法,两者或许来源于同一个的语源。
言語学者の堀井令以知氏によれば、「さかいに」は「さけー」とか「すかい」とかの異形があり、もともとは理由を示す「けに」に接頭辞の「さ」が加わって「さけに」となり、それが「さかいに」に転じたのであろうという。
根据语言学家堀井令以知的观点,“さかいに”存在“さけー”和“すかい”两个异体词,最先是表示理由原因的“けに”前添加了接头词“さ”,变成“さけに”,进而转化为“さかいに”。
そこで、氏のいうところの「けに」についていろいろ調べたら、いくつか用例に出会った。
「泣く泣くよばひ給ふ事、千度ばかり申し給ふけにやあらむ、やうやう雷鳴止みぬ」(竹取物語)
「水鳥の発ちの急ぎに父母に物言はずけにて今ぞ悔しき」(万葉集巻20)
针对堀井所说的“けに”,笔者翻阅了一些资料后发现了好几个用例。
“泣く泣くよばひ給ふ事、千度ばかり申し給ふけにやあらむ、やうやう雷鳴止みぬ(涕泪纵横,祈祷忏悔千遍不息,雷鸣渐止)
“水鳥の発ちの急ぎに父母に物言はずけにて今ぞ悔しき(行色匆匆如水鸟,未辞双亲悔至今)”
竹取の「申し給ふけにやあらむ」は、「おっしゃられたからであろうか」と言う風に、「けに」は理由を示す助詞として使われている。万葉集にある「父母に物言はずけにて」も、「両親と言葉を交わさなかったので」と言う具合に、「けに」は理由を示す助詞として使われていると考えられる。
《竹取物语》的“申し給ふけにやあらむ”就是“おっしゃられたからであろうか”的意思,“けに”是用于表示原因理由的助词。《万叶集》中的“父母に物言はずけにて”的语义为“両親と言葉を交わさなかったので”,句中的“けに”也是用于指示原因的助词。
探求がここで終わってしまうと、「けに」と「から」の間には繋がりが見つからないことになるが、「けに」を更に遡ると、意外なことが見えてくる。「けに」はもともと「け」のかたちが先行していて、その「け」とは「かれ」の変形ではないか、こんな推論が成り立つのだ。「かれ」は、古事記では「故」の辞をあてて多用されている。古事記学者はこれを「かれ」と訓読したわけである。
探索至此告一段落,不过还没有发现“けに”与“から”之间的联系,而对“けに”的历史再做进一步的追溯,就有了一个意外发现。“けに”最先是以“け”这种形式出现的,由此就可以成立一个推论,即“け”可能是“かれ”的变形。《古事记》中经常用“かれ”(“か”加上“あり”的已然形即“かあれば”,“かれ”是其省略,相当于“こういうわけで”,表示原因)来对应“故”一词。因此《古事记》的研究者们就将“故”训读为“かれ”。
「かれ」が「け」となって、それがさらに「けに」となり、今日の京言葉である「さかいに」になった。一方関東語では、「かれ」からストレートに「から」に変化した。こう考えれば、京言葉の「さかいに」と関東語の「から」は、大昔には共通の言葉「かれ」で結ばれていたということになる。
“かれ”成了“け”,有进一步演化成“けに”,最后形成了今天京都方言中的“さかいに”。另一方面,在关东方言中,“かれ”直接转化成了“から”。这样来看,在上古时代,京都方言的“さかいに”和关东方言的“から”都有一个共同的起源,即“かれ”。
「そうだから」の意味の言葉を「そうじゃけえ」という地方がある。この「けえ」は先述の「け」のかたちが残ったものだろう。四国の一部では「そうじゃき」というところもあるらしい。
还有一些地方说“そうじゃけえ”,也就相当于“そうだから”。这里的“けえ”应该也是前面所述的“け”的残留形态。而在四国的部分地区,也有“そうじゃき”这种用法。