仲間ぼめになるけれど、『よりぬきサザエさん』(朝日新聞出版)のシリーズがなかなか面白い。評判にたがわず郷愁と笑いで楽しませてくれる。しかし昭和は遠くなりにけりで、若い世代には解説が必要と思われるあれこれも多い
尽管有同行自夸的嫌疑,可我还是要说一句,《精选版佐江女士》(朝日新闻社出版)系列真是叫绝。恰如评价所称,以乡愁与笑话,为人们带来了欢乐。可是,昭和时代已离我远去,对于年轻一代来说,的确有这样那样的很多东西需要解释一番。
ワカメがりんごの木箱に手を突っ込んで、「まだあったかな?」。これも分かりにくいだろう。昔は、傷まないようにもみ殻の中へりんごを詰めた。大人数の家では、箱ごと買って冷暗所に置き、中をまさぐって一つ一つ取り出したものだ
例如,裙带菜将手伸进了苹果木箱里,“还热乎吧?”这一段恐怕就很难理解。从前,为了不伤着苹果就会填进谷糠固定住苹果。大户人家都是整箱整箱地购买回来,并搁在阴凉处保存。需要时就从中一个个地掏出来食用。
2年前の本紙声欄で、青果店に育った女性が回想していた。木箱から売り物のりんごを取り出すのを手伝ったそうだ。もみ殻は近所の卵店にもらわれて卵のクッションになった。木箱は壊して風呂をわかしたという。ものの使い方に無駄のない時代だった
2年前本报呼声栏目就刊登过成长于某菜蔬店一名女性的回忆文章。说是帮着从木箱拿出一个个地商品苹果销售来着。卖完之后,谷糠就给了附近的鸡蛋店,用作鸡蛋的缓冲材料。再将木箱解体后给澡堂子烧水用。那是一个用东西不浪费的时代。
りんごからの連想だが、女優の故沢村貞子さんが「あたりみかん」という短文を書いていた。箱の隅っこで傷んだのを、子ども時代に東京・下町の八百屋で安く売っていたそうだ
由苹果引发的联想,已故女演员泽村贞子女士发表过一篇题为“有伤柑橘”的短文,说是在她的孩提时代,东京・下町的菜蔬店曾用低廉的价格销售位于箱子犄角处受了伤的柑橘。
今なら廃棄だろう。だが「ちょいと見場は悪いけど、おなかこわすわけじゃない」と、売る方も買う方もお値打ちな「当たりみかん」と呼んだ。サザエさんより昔の話だが、賞味期限を切らしては大量に捨てるばち当たりを、じんわり戒めてくる
要是放在今天的话就都废弃了吧。然而,“看上去不太好看,其实里边并没有坏”。无论销售方还是购买方都称之为具有一定价值的“有伤柑橘”。尽管这些都是从佐江女士处得悉的故事了,可对于那些过了食用期限便大量抛弃,并认为是理所当然的处置方式,总有点要有所收敛的想法。
日本では年に500万トンを超す食料が、まだ食べられる状態で捨てられるそうだ。あれやこれやとご馳走の季節。ほんの昨日までの丁寧さ、つつましさに、少し思いを致してみたい。
据说,日本每年大约有超过500吨尚可食用的食品遭到抛弃。值此品尝这样那样美味佳肴的季节,希望能够稍许想一想不久之前尚且具备的细致、且慎重的生活方式。