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红蜻蜓
我身背着帐篷行走在上野和越后的分界岭的山脊上。山里已是秋风四起,一到夜里便吹得帐篷啪啪直响。看哪,看那些成群飞舞的红蜻蜓。它们全然不顾风向和气流的流向,几乎整日不停的朝着同一个方向飞去。其数量之多真是数不胜数,并且没有一只是反向飞行的。真可谓是红蜻蜓的大迁移。
那种集团生活真是了不起。在那个拥有着干巴巴闪闪发亮的翅膀的无声的世界里,似乎正在执行着一项重大的决定。看着这个壮观的、由无数的红点组成的潮流,有谁会相信这仅仅是一种生活习性呢?虽然我自认为不可能忘记,可还是要将这些蜻蜓记在笔记本上。为稍稍精确地描述,我写下:“秋红蜻蜓”群。然而,写“秋红蜻蜓”就果真不错吗?也许该是“夏红蜻蜓”吧。要弄清楚其中的区别,非得花极大的耐性来比较它们的胸侧斑或生殖钩不可,倘如认为眼下已是秋天了就称之为“秋红蜻蜓”则是非常靠不住的。因此,暂且保留“红蜻蜓”这个称呼应该是不错的吧。
串田 孙一 《四季随想》
原文:
赤蜻蛉
上越国境の尾根を天幕を背負って歩いていた。もう山では秋風が、夜なんぞは天幕をばたばた言わせていた。ごらんなさい、この赤蜻蛉の群れを。風の方向や、気流とは一応無関係に、赤蜻蛉は殆ど終日、同じ方向に向かって飛んで行った。それはほんとうに夥しい数だったし、その中で一匹も逆へ飛んで行くのがいなかった。赤蜻蛉の大移動だ。
実にその集団生活は立派だった。かさかさ光る翼を持つ無言の世界では、何か重大な決意が行われたらしい。このすばらしい無数の赤い点の流れを見て、誰がただ習性なのだと思っていられるだろう。僕は忘れることもないはずのこの蜻蛉のことをやはり手帳に書く。やや正確のつもりで、あきあかねの群れと。しかし果たしてあきあかねで誤りないだろうか。なつあかねかも知れない。その区別は、胸側斑や生殖鉤を、むしろ異常な辛抱強さをもって比較する必要があって、いまはもう秋だからあれはあきあかねだと呼ぶことは非常に危険なのである。そのために、赤蜻蛉という名も残しておいてもいいだろう。
串田 孫一 「季節の断想」