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北国之春
六月里,道路两旁的李子花盛开着,散发着浓郁的气味。草丛中李子浓密的枝条上如同聚集了许多小纸片似地沾满了雪白的花朵,在无风的阳光中静悄悄地开放。那气味使我的脑袋发沉。虎杖的叶子呈现出刚刚绽放出来的鲜艳色彩,摇晃着。山崖下有人家处,有狗在吠叫着。直通海岸的长长的道路上看不到一个人影。
我挥起手杖,对准头顶上李子花最密的一簇,狠狠地揍去。
树枝折断,花瓣飘摇回旋而下,挂在草丛中人眼看不到的蜘蛛网上。我将脚边的李子枝条踢到草丛中,迈开了步伐。虽然没有人注意到我的举动,但我仍有点惴惴不安。我好像听到郭公鸟在哪里叫了一下。
似乎是在落叶松方吐新芽的树林那边叫着来着。这就是北国的春天。眼下,正是这累我父老病缠身而又抚育我长大成人的北国大自然的春浓之时。
空气暖和又呆滞,温暖着翻耕过的黑黑的田地之间苹果树上的花,还有牛、马、鸡,等等。这是令有头疼病的母亲难过的季节,也是我和弟弟拿着兜网在黄昏中的山冈上捕鸟而忘了时间的季节。
草木上洒满了柔和的阳光,但显得过于空泛。那不耐我嗅闻的李子花,就在这春意正浓时,默默无闻地盛开着。
看到这些在我童年的情感中连成片,在我的梦中摇动着沉重的枝叶,不知何时深埋于我记忆之中的落叶松、虎杖、款冬还有艾蒿这些北国的风物铺满了那边的山坡,我就感到一种想投身扑入其中的冲动。同时,那从树林中传来的,间隔声越来越长的郭公鸟的鸣叫声,也扰乱着我内心深处难以抑制的情感。
伊藤 整 《生物祭》
作者介绍:
伊藤 整(1905~1969)诗人、小说家、评论家,本名整(注:日语读音与笔名的整不同)。北海道出生。经小樽高级商校,东京商科大学中退。初中时代就开始诗歌创作,大正15年自费出版诗集《雪光之路》。昭和5年所作《感情细胞的断面》为川端康成所赞赏,以新心理主义新进作家、评论家而一举成名,然而在文坛上尚未有定论,不久以现实手法描写风土环境与人的性格交感的《马贩子的结局》奠定了他的作家地位。主要作品有:《幽魂的街道》、《火之鸟》、《鸣海的仙吉》、《青年诗人的肖像》、《泛滥》、《发掘》以及评论《小说的方法》、《伊藤正的生活和意见》等等。
原文:
北国の春
道の両側は六月で李の花が強く匂いながら咲いていた。藪の中で李の枝繁みは、細かい紙片を集めたような真白い花がつけ、風のない日光の中にひっそりと咲いていた。その匂いが私の頭を重たくした。虎杖の葉がほぐれたばかりの新鮮な色で揺れた。崖の下の人家の方で、犬が吼えていた。海岸まで続いているその長い道には人影がなかった。
私はステッキを振り上げて、頭上の李の花の一番濃く群れっている処を殴りつけた。
枝が折れて、花弁がくるくると回転して、藪影に目に見えずにあった蜘蛛の巣にかかった。私は足元の李の枝を藪の中へ蹴飛ばしてまた歩き出した。誰もそれに気づいていないことが私をまだ落ち着かせなかった。私はどこかに閑古鳥の鳴き声を聞いたように思った。
落葉松の新しい芽の吹いた林の方で鳴いているらしかった。それは北国の春であった。父の病気を取り巻いて私を育てた北国の自然は春の真盛りなのだ。
空気は暖かくよどんで、黒い掘り返された畑の間の林檎の花や牛や馬や鶏などを暖めていた。それは頭痛持ちの母を悩ます季節であり、私と弟とが霞み網を持って渡り鳥を捕まえるために夕暮れの岡で時間を忘れた季節であった。
草木の上に満ちている軟らかな陽の光は、しかしあまりに空虚であった。殆ど私が嗅いでいるに耐えられないような李の花が、その春の真ん中に、誰にも知られずにその傍らを通る人もなく咲いている。
私も幼年の情感のなかに群がり、私も夢の中に重たい葉を揺るがしながら、いつか記憶の奥に埋もれていた北国の風物である落葉松や虎杖や、蕗や、蓬が、そこの斜面を満たしているのを見ると、私はその中へ倒れれ込みたい衝動を感じた。そして林の中から聞こえる間の延びた閑古鳥の声が、私のずっと奥のほうの、抑制する事も出来ない感情を掻き乱した。
伊藤 整 「生物祭」
作者紹介:
伊藤 整(1905~1969)詩人、小説家、評論家、本名整。北海道の生まれ。小樽高商を経て、東京商科大学中退。中学校から詩作を始め、大正15年詩集「雪明りの路」を自費出版。昭和5年「感情細胞の断面」が川端康成に推賞され、新心理主義の新進作家、評論家としてデビューするが、文壇的評価は定まらず、やがて風土や環境と人間の性格の交感をリアリズムの手法で描いた「馬喰の果」で作家の地位を築いた。主な作品に「幽鬼の街」、「火の鳥」、「鳴海の仙吉」、「若い詩人の肖像」、「氾濫」、「発掘」および評論「小説の方法」、「伊東整氏の生活と意見」などがある。