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日本の高校生が見た中国

作者:佐藤里美  来源:HIDAMARI   更新:2004-8-22 5:48:00  点击:  切换到繁體中文

 

中国前国家主席江泽民在1998年访问日本时,两国外交部长制定的作为“中日两国青少年交流的框架计划”的一部分,2001年42名日本的高中生访问了中国,并和北京、南京、上海的高中生进行了交流。此为日本学生写的感想文章,原文为日文。

日中友好のために、できることから始めたい

我想写的感想有两个方面。第一个方面是“心心相通”。这是和很多中国的高中生交流的过程中感受最深的。他们其中有会说英语的、会说日语的、两样都不会只能用中文交流的,但因为都是同龄人的缘故吧,一见面就成了好朋友。有说不通的地方就在纸上写汉字,通过各种方法,我们之间总能够沟通思想,以微笑进行交流。(中略)

第二个方面是“日中的历史”。开始我以为自己对(中日)战争比较了解,但参观南京的大屠杀资料馆时,我感到一阵剧烈的心痛。从日本出发之前我读过有关大屠杀的书,但我发现那本书所涉及的只不过是残虐的日本人的一面。我无法原谅那些以难以想像、非人的手段去屠杀中国人的日本人。这使今天想为日中友好做贡献的我,不知今后如何去面对中国人。我想起了这次访中团团长的一番话:“做过的事情无法挽回,与其去懊悔过去,不如为了不再有第二次战争的发生而努力,这才是今天我们应该做的。我很赞同团长的想法。哪怕是小事,我也要从能做到的做起。例如,和中国人深交朋友。还有,努力使歧视中国人的人越来越少。

感想文に書きたいことが二つある。一つ目は「通じ合う心」のことだ。たくさんの中国の高校生たちと交流してみて、最も強くこのことを感じた。日本語の話せる子、英語の話せる子、どちらもあまり話せなくて中国語のみの子、それはさまざまだった。けれど、同じ年頃ということもあってか、すぐに仲良しになることが出来た。分からない言葉があっても漢字を紙に書いたり、色々な工夫をして何となく分かり合えた。そして笑顔で話し合えた。(中略)

二つ目は「日中の歴史」のことだ。戦争については、ある程度理解していたつもりでいた。しかし、南京の虐殺資料館に行った時、私の心はひどく痛み出した。事前に日本でその虐殺についての本を読んでみた。その本の内容は残虐な日本人のある一部でしかなかったのだ。想像も出来ないほどひどい殺し方をした日本人を私は許せない。そして今日、日中友好をはかりたい私はどのようにして中国人に接していいのか分からなくなった。私たちと旅を共にした団長の言葉を思い出す。その言葉とは「してしまったことはしょうがない。そのことを悔やむよりも戦争を二度と起こさないようにしていくことが今の私たちにできることだ」。私はその考えに納得した。そして小さなことでも、今の私にできることを始めようと思った。例えば、中国人の友達と仲を深めていきたい。また、中国人に対する差別的な気持ちを持っている人を一人でも減らしたいと思う。

沼田なつみ(茨城県立日立第二高校3年) 

 

イメージとは違った中国の高校生

在上海我参观了高中的音乐课,对中国学生的活力感到震惊。上课前学生们的一声宏亮的“老师好!”使我感到十分激动。一直在我脑海里的中国学校的形象是:在光线暗谈的教室里, 毫无表情的学生们像机器人一样啃着书本,但事实告诉我,这种想像是错误的,我觉得中国的学生和日本学生几乎没有什么两样,甚至比日本的高中生还要精神饱满,充满活力地上课。

上海では実際の授業にも出たり。僕は音楽の授業に出てみたが、中国の子達が持つパワーには驚かされた。はじめの「老师好!!」から鳥肌が立ってしまった程。僕が今まで持っていた中国の学校のイメージといえば、薄暗い教室の中で無表情な生徒達がロボットのようにかりかりやっているといった感じだったが、それは大きな間違いで実際はほとんど日本と変わりなく、生徒のみんなは逆に日本の高校生よりも元気で生き生きと授業に参加しているように思えた。

 藤巻哲平(千葉県立幕張総合高校3年)

 

大型バスで感じた違和感

在九天八宿的旅程中,重要的交通工具是大型观光巴士。我们坐在巴士封闭的空间里俯视中国的日常生活。陌生的城市景观、和某个熟人长得相似的脸庞、时而跳进我的眼帘时而又消失了。就好像从电视的大屏幕上欣赏异国的风景,又好像玻璃窗的外面完全是另一个世界:既没有现实感也没有危机感的想像空间。

从玻璃窗外面,时常也有中国人将视线投射过来,当和他们的视线相撞时,才使我醒悟过来。这让我想起自己决不是来娱乐的,玻璃窗的那面和这面不可能有任何的障碍。对,本应该是这样的,但我心中所抹不去的那种别扭的感觉又是什么呢?

那种别扭的感觉也有过消失的瞬间。坐着出租车向要去访问的中国家庭行驶的时候,在自行车、汽车尾气还有喇叭声混杂的、充满生机的上海街道上行驶的时候,当我的视线与中国人的视线同样高的时候,当我的视线与中国人的视线同样高的时候,我才第一次感到我真正地触摸到了什么。现在回想起来,盘据在我心中深处的日本人的优越感,以及从高大的巴士上俯视风景的姿态,使我没能够正视中国的真正风貌。同时,我对自己的这种姿态感到抵触,所以才有了那种别扭的感觉吧。

远离日常生活的梦一般的九天,在这九天里,中国人的视线和我那没有根据的优越感而带来的别扭的感觉,现在还能活生生地回想起来。

八泊九日の旅の間、私たちの行動の中で大きな存在だったのは大型観光バスであった。あのバスの閉ざされた空間から、中国の日常を見下ろす。すると見慣れない雰囲気の町並みやら、知り合いの誰かと似たような顔が、目に飛び込んできたり、消えていったりする。それはまるでテレビの大画面から異国の風景を楽しむような、私とは違う世界がガラスの向こうに在るのだと思わせるような、現実感も危機感もない娯楽みたいなものだった。

しかし、ガラスの向こうからも度々中国の人々の視線がこちら側に向かって入り込んでくる。彼らと目があうとふいに私は自分を取り戻していくのだった。決して娯楽のために来たわけではない、ガラスの向こうもこちら側も何の隔たりもあるはずはない、と。そう、そのはずなのだ。けれど心にどこか拭いきれないあの違和感は何だろう?

そう言えば、その違和感を感じなかった瞬間があった。家庭訪問先に向かうタクシーの車中であった。いつものバスからの風景とは違い、チャリと排ガスとクラクションとの混沌の中、実に生き生きとした上海の街を走っていた時。中国の人々の目線と同じ高さでやっと何かに触れた気がした。

今考えると、心のどこかに巣食う日本人の優越感と背の高いバスから風景を見下ろす姿勢がどこかリンクして、中国の姿を真正面から捉えられない自分がいたのではないか。同時にそんな自分に抵抗する心もあって、あの違和感が生まれたのかもしれない。

日常とは切り離された夢のような9日間。その中で、中国人の視線と根拠のない優越感が生んだ違和感だけが、今も現実味を伴って思い出される。

 土生秋子(国際基督教大学高校3年) 


 

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