仏教語には独特な読み方をする漢語がたくさんあります。ここに、その幾つかを取り上げてみました。
●生死 せいし/しょうじ
一般には「せいし」と読み、「生きることと死ぬこと。生と死。生き死に」の意を表します。例、「生死の境をさまよう」「生死を共にする」。しかし、仏教では「しょうじ」と読みます。意味は一般と同意で使われるほか、「生命を有するものが生まれ変わり死に変わりしてとどまることがないこと。輪廻(りんね)」の意をもち、迷いの世界、苦の世界を表す代表的な語ともなっています。例、「生死の闇(やみ)」「生死の海」。
この「生」と「死」を別個のものとして見るのではなく、絶対に切り離せない、一つのものの両面ととらえるのも仏教的な見方と言えます。上記の毛筆字は、そのことを踏まえて作られた字です。作者は現代のある禅僧ですが、その方は先年ガンで亡くなられました。死ぬ間際まで講演などのお仕事に邁進(まいしん)しておられました。なかなかまねのできない生き方です。敬服せずにはいられません。(生…「セイ」漢音、「ショウ」呉音。死…「シ」呉音・漢音共通。藤堂明保ほか編「漢字源」(学研)による。以下、同。)
●父母 ふぼ/ぶも
一般には「ふぼ」と読み、「父と母。両親」を意味します。「父母の恩は山よりも高く、海よりも深し」という言葉があります。しかし、仏教では「ぶも」と読みます。「父母未生以前(ぶもみしょういぜん)」という仏教語は、特に禅宗でよく知られています。「自分はもちろん、父や母が生まれない以前のときの状態。本来の面目(めんもく)」を指す語だといいます。理屈で解釈しても届かない、悟りの心境を表した語かと思います。(父…「フ」漢音、「ブ」呉音。母…「ボ」慣用音、「モ」呉音。)
●心身・身心 しんしん/しんじん
一般には「しんしん」と読み、「心」を先に書きます。「心身ともに健康だ」「心身を鍛える」。しかし、仏教語としては「身心」と「身」を先に書き、「しんじん」と読みます。例、「身心安楽(しんじんあんらく)」「身心一如(しんじんいちにょ)」。「身心脱落(しんじんだつらく)」は「身も心も、一切のとらわれから離れて自在の境地に入ること」をいいます。中国(宋)に渡った道元禅師が、師如浄(にょじょう)のもとで悟りを得た時に発した言葉として有名です。(身…「シン」呉音・漢音共通。心…「シン」呉音・漢音共通。)
●自然 しぜん/じねん
一般には「しぜん」と読み、「山すそに居を構えて自然に親しむ」「自然の営み」、「形勢が有利になり、自然に鼻歌が出てくる」などと使われます。ルソーの「自然に還(かえ)れ」という言葉は有名です。しかし、仏教では「じねん」と読みます。「おのずからそうなっていること」の意で、「自然法爾(じねんほうに)」などの語があります。親鸞(しんらん)はこの「自然法爾」を、「自力のはからいを捨てて仏の手にすべてを任せきること」といい、人は、煩悩を持ったこの身のままでも、阿弥陀仏(あみだぶつ)という絶対の中に身を投ずれば救われると説いています。(自…「シ」漢音、「ジ」呉音。然…「ゼン」漢音、「ネン」呉音。)
●回心(廻心) かいしん/えしん
ふつう、「かいしん」と読み、「キリスト教で、キリストによる罪のゆるしと洗礼によってひきおこされる、心の大きな転換。また、犯罪者が罪を悔い改め、更生を誓うこと」を意味します。例、「これまでの悪事を悔い改めて回心する」。しかし、仏教では「えしん」と読みます。「己のよこしまな方向にある心に気づき、仏教の世界に向かって目が開かれること」をいいます。親鸞は「歎異抄(たんにしょう)」の中で、「一向専修(いっこうせんじゅ)の人においては、廻心ということただ一度(ひとたび)あるべし」と述べています。そして、自力に頼る心では往生することができないことに目覚め、心底から他力の本願におまかせすることこそが廻心だと言っています。(回…「カイ」漢音、「エ」呉音。心…「シン」呉音・漢音共通。)
●有為 ゆうい/うい
一般には「ゆうい」と読み、「才能があり、世の中の役に立つ見込みのあること」の意で使われます。例、「前途有為の若者」。しかし、仏教では「うい」と読み、「因縁(いんねん)(=さまざまな原因や条件)によってつくり出された、生滅変化する諸現象」をいいます。「有為転変(てんぺん)」もこのことを指した語です。(有…「ユウ」漢音、「ウ」呉音。為…「イ」呉音・漢音共通。)
●施行 しこう(せこう)/せぎょう
一般には「しこう」と読み、「物事を実際に行うこと」をいいます。例、「練りに練った計画を施行する」。また、「公布された法令の効力を発生させること」の意でも使われます。その場合は、「執行(しっこう)」とはっきり区別するために、「せこう」と読む慣用があります。例、「新しい法令が施行された」。しかし、仏教では「せぎょう」と読み、「人に物を施すこと。布施(ふせ)の行」を意味します。例、「その方の難民救済のための施行は、人々には御仏(みほとけ)の慈悲のように感じられた」。(施…「シ」漢音、「セ」呉音。行…「コウ」漢音、「ギョウ」呉音。)
<以上の例からもわかるように、仏教語には呉音読みのものが多い。>