日本語は「あいまいな言語」だ、といわれることがあります。しかし、「あいまい」なのは「日本語」なのでしょうか。例えば、食事に誘われて「行きません」と答えても文法的には正しいです。ただ、日本人はこの場合「行きません」と言わないで、「すみません、今日はちょっと約束があるので……」などとあやまることばや理由を述べることばで断ることが多いです。つまり、日本語に「あいまいさ」という性質があるわけではなく、日本語を使っている日本人に「婉曲な言い方を好む」傾向があるのです。この婉曲な言い方が中国語話者には「あいまいだ」と感じるわけです。
それでは、中国語には婉曲な言い方はないのでしょうか。「人から誘われたが、それを断りたい」と思っている場合を考えてみましょう。この場合、中国語も日本語とほとんど同じような言い方をするように思います。例えば、行きたくない時には「不去」と言わないで、「不太方便」「有点儿事」「有个约会」「不太舒服」と言ったりします。これらは日本語の「ちょっと都合が悪いので」「ちょっと用事があるので」「先約があるので」「体調が悪いので」にあたります。せっかく誘ってくれたのだから、相手を傷つけないように婉曲に断ろうという考え方が共通しているといえます。
また、中国語話者が「日本人に頼みごとをすると、断られているのかどうかあいまいでわかりにくい」と言っているのを聞くことがあります。中国では人との「关系」(注)を非常に重視します。そして、頼んだり頼まれたりすることでその「关系」を深めているともいえます。それに対して日本では、そのような「关系」がはっきりせず、あまり人に頼むことを好まない傾向があるので、頼む側も頼まれる側も非常に気を遣います。頼む側は相手の負担にならないように相手が断りやすいような言い方で頼むし、断る側は「この頼みは断りますが、あなたのことは大切に考えています」という意味で、非常にあいまいで婉曲的な言い方で断ることが多いのです。
(注)日本語にも「人間関係」ということばがありますが、これは
「关系」とは違い、単純な人と人とのつながりや雰囲気を表します。
本田弘之
杏林大学助教授