必然というべきか、手紙を書いたことのない若年者が増えているそうだ。郵便番号欄に電話番号を書くなど、基本を知らない小中学生が結構いる。去年の全国学力調査で、中3にはがきの宛名を書く問題が出され、正答率が74%だったと聞けば心配になってくる
也不知道该不该说是必然的结果,据说不亲笔写信的年轻人正在增加。有很多中小学生甚至连基本常识都没有,出现了在邮政编号栏里填入电话号码等笑话。更令人担忧的是,听说在去年举行的全国学习能力调查中,对于初中3年级学生提出的填写明信片收件人问题,正确回答率仅为74%。
危機感を募らせる日本郵便は近年、教材を作って小中学校へのサポートを始めた。昨年度は全国約7900校で、165万人が授業を受けた。昨今は、先生も手紙を書いた経験が少ないのが実情らしい。親御さんもしかりだろう
出现危机感的日本邮政近年来开始编撰教材加大对中小学生的培养力度。上一年度全国大约7900所学校的165万人接受了该课程教育。现如今的实际情况是连老师也有不少缺乏写信经历的,学生家长恐怕也是如此吧。
メールでは心がこもらないなどと言う気はない。ただ、古来、手紙は人間のあらゆる喜怒哀楽を媒介してきた。肉筆でつづる手紙には、電子時代にも失せない存在感と役割があると思う
我并不想说传发电子邮件不含有情感等问题,但是,从古到今书信一直承载着人们的所有喜怒哀乐。亲笔书写的书信具有即便是电子时代也不会丧失的存在感和作用。
そういえば石川啄木に、いかにも啄木らしい一首があったのを思い出す。〈誰(たれ)が見ても/われをなつかしくなるごとき/長き手紙を書きたき夕(ゆうべ)〉。やはり季節は秋だろうか。メールの一斉送信では、懐かしさの情も中ぐらいになる。
说到此地,让我想起了一首非石川啄木莫属的,具有啄木特色的和歌,<谁看都一样,思念没商量,一封长信解愁情,就在今晚上>不知道当时的季节是不是金秋。若采用电子邮件群发形式的话,这思念之情顶多也就能达到中等程度吧。
上一页 [1] [2] 尾页