2010笹川杯“感知日本”全国征文大赛
优秀奖作品
日中の児童教育を比較して
苏州大学 汪琳
「あなたが大きくなったら、なにをするつもりですか?」と質問されたら、日本の小学生は「教師になりたいとか、本屋さんになりたいとか、農家になりたい」とか生活にしっかりつながって、実現しやすい答えを言う。さらに清掃員になりたい小学生も数多い。が、中国の小学生は科学者になりたいだの、宇宙飛行士になりたいだの、数学家になるつもりだの偉大で実現しがたいことを答える。同じ年の子供であるが、なぜかその答えはぜんぜん違う。中日は一衣帯水の隣国で、そんなに大きな違いがあるのは不思議だと思う。いくら考えてもその原因が分からない。図書館で本を借りて読んだ後、それは日中両国の児童教育と関係深いことがわかった。
日本は敏感繊細な民族で、取るに足りないことからでも人生の意味を発見できる。日本の子供たちは生まれてから「些細なことにも注意しなさい」と教えられるから、日本の子供たちは平凡な生活の中で非凡なことを発見することができる。彼らの考えによると、教師とか、農家とかはすばらしい職業で、「それらの仕事ができたら、私もすばらしい人になれる」と思う。ところが、国土面積が大きい中国で普通の人になるのは頭が上がらないことだと思って、子供たちは小さい頃から「偉大な人になって、社会のために貢献しなさい」という教育を受けている。それはただ日中児童教育の断面である。ほかに違うところが山ほどあると思われる。
第一、日常生活
日本では、専門的な保育機関があって、赤ちゃんは生まれた後、たった一ヶ月経ってそこに送られて教育を受ける場合もある。しかしながら、中国の子供たちは三、四歳になってはじめて、幼稚園に送られる。幼稚園に入ったら、先生は父母に「子供が使うものを用意してください」と言う。中国人の父母はそれぞれのものを一つの袋に入れてそのまま先生に渡すが、日本人の父母は子供の物品を分けてさまざまの袋に入れて別々にし、それから、必要な時には、すぐにそれを探すことができる。
第二、意志を育てる
中国では、計画出産のため、大部分の家庭には一人だけの子供がいて、子供は家庭の中心であり、「小皇帝」、「小公主」として育てられ彼らはどんな要求があってもなんでもかなえられる、家事もぜんぜんやらない。そのため、一人で生活できない、体が弱い、根気がない……と言われる。
日本では、おもしろい現象がある。大部分の子供は薄着であって、特に女子生徒は一年の初めから終わりまでスカートを穿いていて、寒い冬でも例外ではない。幼稚園は子供を鍛えるために、冬でも子供はショートパンツを穿かせて外でジョギングさせる。その現象は中国人の父母たちは理解できない。
第三、飲食
一般的に、中国の幼稚園は昼食と点心を提供しているが、種類が単調であり味がおいしくない。そのほか、栄養価が乏しい。日本の子供たちは母が作った弁当を持って幼稚園に行く習慣があって、昼ごはんの時間においしい弁当が食べられる。弁当には季節の果物と野菜または魚と肉があって栄養が豊富であり、且つその外観がきれいなので、食欲が増進される。
第四、活動
中国の幼稚園はあまり行事を開催しない。ただ重大な祝日で、活動があっても、終わったら学校は静かに戻る。たとえ開催しても、時間が短い。それとは逆に、日本の幼稚園には活動がいっぱいあって、子供だけ参加している活動ばかりではなく子供と父母が協力する活動がいろいろある。
そのほか、日本の幼稚園は子供の歴史観と世界観を育成することに夢中になるが、中国人の子供は自国の歴史をよく知らないし、世界の形勢があまり分からない。且つ中国には、「貴族幼稚園」が次々と現れ、公立幼稚園の費用も上がっている。一方、中国よりも豊かな日本では、幼児教育の平等を重視し、とりわけ社会的弱者層の子供たちの保護に重きを置いている。
近年、中国人はだんだん児童教育を重視するようになっている。が、日本と比べると、たくさん不足しているところがあって、特に家庭教育には欠点が山ほどある。
では、児童教育についてわれわれはどうすればいいのか。まず、児童に対する教育は生まれてからすぐ始めたほうがいい。そのほか、順を追って計画的に子供を育てるべきである。そして、体育活動などに参加して体と心を鍛えるのみならず、集団意識や自立心も育まなければならない。
子供は国家の基礎であり、日本のいいところも取り入れながら、児童教育を重視しなければならないと思う。