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冬空をよぎった一つの鳥の陰のように、自分の前をちらりと通り過ぎただけでそのまま消えるかと見えた一人の旅人、――その不安そうな姿が時のたつにつれていよいよ深くなる痕跡を菜穂子の上に印したのだった。
如同越过冬日天空的一只飞鸟的影子,一位在自己的眼前一晃而过,之后便踪迹皆无的过客——那似乎略显不安的身姿,随着时间的流逝,留给菜穗子的印象却越来越深。
その日、明が帰って行った後、彼女はいつまでも何か訳のわからない一種の後悔に似たものばかり感じ続けていた(中略)。
那天,阿明回去后,她久久地,心里只有一种不明所以的后悔似的感觉(中略)。
何故あんなに相手にすげなくして、旅の途中にわざわざ立ち寄ってくれたものを心から言葉一つかけてやれずに帰らせてしまったのか、とその日の自分がいかにも大人気ないように思われたりした。しかし、そう思う今でさえ、彼女の内には、もし自分がそのとき素直に明に頭を下げてしまっていたら、ひょっとしてもう一度彼と出会うような事のあった場合、そのとき自分はどんなに惨めな思いをしなければならないだろうと考えて、一方では思わず何かほっとしているような気持ちもないわけではなかった。
为什么要对人家那么冷淡呢?人家在旅途中特意抽身来看自己,为什么一句知心话也不说就打发人家走了呢?觉得那天,自己太不懂事了。然而,即使在眼下这么暗忖的当儿,她内心也觉得,要是当时老老实实地向阿明认错的话,那么有朝一日与他重逢,自己该有多难堪呀。因此,心里反到有一种如释重负之感。
菜穂子が今の孤独な自分がいかに惨めであるかを切実な問題として考えるようになったのは、本当にこの時からだといってよかった。彼女は、丁度病人が自分の衰弱を調べる為にその痩せさらばえた頬へ最初はおずおずと手をやってそれを優しく撫で出すように、自分の惨めさを徐々に自分の考えに浮かべ始めた。
菜穗子真正地,将如今孤独的自己有多凄惨当作一个迫切的问题来考虑,可以说正是从这时开始的。她就像一个病人,想要知道自己有多衰弱而战战兢兢地先是将手放到瘦骨嶙峋的脸上,而后开始无力地抚摩一样,也开始将自己的那分凄惨渐渐地提上了心头。
堀 辰雄 「菜穂子」
堀 辰雄 《菜穂子》
作者紹介:
堀 辰雄(1904~1953)、小説家、詩人。東京都に生まれ。東京大学国文科卒。芥川竜之介、室生犀星に師事。大正15年、中野重治らと「驢馬」を創刊、作品や翻訳を載せた。最初の小説「ルウベンスの偽画」を発表した昭和2年、芥川竜之介が自殺した。師芥川氏の衝撃的な死は若い堀に彼自身の道を歩ませることになった。このころから結核を病んだ堀は、文学的資質のせいもあったが、生涯数少ない作品を長い構想の後に丹念に書き、発表後も改訂を止めない型小説家となった。主な作品に、「聖家族」、「風たちぬ」、「幼年時代」、「菜穂子」などがある。
作者介绍:
堀 辰雄(1904~1953)小说家,诗人。生于东京。东京大学国文科毕业。师从芥川龙之介、室生犀星。大正15年,与中野重治等创办《驴马》杂志,刊载原创和翻译作品。在他发表处女作《鲁本斯的伪作》的昭和2年,芥川龙之介自杀了。老师芥川龙之介那带有冲击性的死讯,使堀辰雄走上了他自己的道路。从那时起,也有文学素质方面的原因吧,患有结核病的堀辰雄就成了一个,长时间构想后再认真地动笔来写那在他一生中也为数不多的作品,发表以后也不停修改型的小说家。主要作品有,《神圣家族》、《风停了》、《幼年时代》、《菜穗子》等。