打印本文 关闭窗口 |
2004年11月05日の「天声人語」
|
作者:ebitama 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-11-13 15:33:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
|
贯通会员翻译讨论作品,仅供参考,如果想参与讨论请登陆论坛天声人语版块。 「ニッポンの、新しい顔です」。そう印刷された、新札の発行を告げるポスターを街で目にする。しかし、その顔はなかなか手元にやってこない。新札が出てくるという、銀行の両替機の前に少し並んで、対面した。
“日本的新面孔”。在街上看到印着这样的话语的告知新纸币发行的宣传画,但是印有那个新面孔的纸币却怎么也弄不到。我在拥有新纸币的银行的兑换机前排了会儿队,总算一睹了它的尊容。
5千円札の樋口一葉は、やはり目鼻立ちがくっきりとしているが、これまで見た写真とは、どこか違った印象を受ける。若いので、しわがないせいか、ややのっぺりとしている。千円の野口英世は、見覚えのある写真そのもので、物を見据えるような両の目が、押しの強さを思わせる。
5千元纸币上的樋口一叶女士毕竟是相貌清秀,但这与以前看到过的照片似乎是有点不一样的感觉。或许是因为年轻没有皱纹的缘故吧,显得有点平板而无表情。一千元上的野口英世先生就跟眼熟的某张照片一样,定睛注视的双眼给人一种威严的感觉。
一葉もだが、英世も、お札からは縁遠かった。「兎(と)に角(かく)医士になり初めは誰しも同し事、金子必要是非なくては如何とも致兼(いたしかね)候間、此際放蕩なる弟を持つたとあきらめて御恵送……」。故郷の福島・猪苗代の旧友に十円を無心した手紙である(『野口英世』朝日選書)。
一叶女士和英世先生都是生活贫寒与钱无缘。“总之,在一开始当医生的时候谁都一样,什么都要化钱,正在用钱的当口,这时放荡的弟弟却拿走了钱,实出无奈,请救济……”。这是向家乡福岛的猪苗代的旧友索取十元钱的信(『野口英世』朝日选书)。
彼は、坪内逍遥の小説「当世書生気質」を読んで、清作から英世へと改名した。作中に「野々口精作」という地方出身の医学生が遊蕩(ゆうとう)する場面がある。かなり広く読まれているので、「精作」のモデルだと誤解されないかと恐れたという。
他在读了坪内逍遥的小说《当世书生气质》后,将原来的幼名清作改成了英世。作品中有个“野々口精作”这个地方出生的医学生的放荡的场面。由于他泛读了许多书,据说还担心会不会误解成是“精作” 的榜样。
やがて英世は渡米し、ロックフェラー医学研究所で力行する。「英世の半生は……借り倒しのそれであった。そして最後に、いくら借りても相手が倒れることのないスポンサー、ロックフェラーをついに見つけた」(同選書)
不久英世远渡重洋去了美国,在洛克费拉医学研究所努力攻读。“英世的半生是……借而不还赖了不少债。最后,他终于找到了再怎么借钱对方也不会倒下来的保证人-----洛克费拉(1839~1937北美实业家,石油大王)”(同选书)
英世が研究所の助手になってから100年の今年、次の大統領を選ぶ選挙で、現職がかろうじて逃げ切る。「アメリカの顔」の方は、変わらなかった。
在英世成为那个研究所的助理之后的100年的今年,在选下一届总统的选举时好容易才逃离现职。“美国的面孔”的人仍然没变。
相关资料
樋口一叶(1872~1896)
野口英世(Noguchi Hideyo)(1876-1928)
誉为“国宝”的日本细菌学家野口英世(Noguchi Hideyo)( 1876~1928) ,不顾高龄,亲身到非洲考察“黄热病”,不幸感染此病身亡。 平民上了日本纸币当政治家们无计可施时,日本要依靠庶民来拉动经济了(附图片1张) 樋口一葉(本名奈津)は明治5年3月25日(太陽暦5月2日)に生まれ、明治29年に肺結核のため、24年という短い生涯を終えました。その短い生涯のうちに、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった現代の我々にも感銘を与える珠玉の作品を遺しています。 台東区立一葉記念館は一葉が居をかまえ、代表作「たけくらべ」の舞台となった竜泉寺町の人々の「一葉の文学業績を永く後世に遺したい」との熱意に動かされ、台東区が昭和36年に建設しました。女流文学者の単独文学館としては我が国初のものです。 平成16年発行、新五千円札の肖像に採用された樋口一葉。来年からみなさんの身近に登場します。
野口英世(幼名清作)博士 世界的に有名な医学者、は1876年11月9日福島県耶麻郡翁島村(現在の猪苗代町)に生まれました。清作は1歳半のころ、いろりに落ちて左手に大火傷を負いました。後にその左手を、手術はしましたが、完治することはありませんでした。しかし清作は、その時に医学の素晴らしさを知り、医者への道を志すことになりました。その結果、野口英世博士は医学の道へ進み、世界中の人々の命を救うこととなりました
|
打印本文 关闭窗口 |