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把过桥米线的故事讲给日本人听

作者:贯通日本… 文章来源:本站原创 点击数 更新时间:2007-12-5 8:44:01 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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Pages :[1]  共 8 楼
#1 作者:bitoc 2007-11-23 21:21:00)

[翻译读解问题] 把过桥米线的故事讲给日本人听

给感兴趣的朋友出一道翻译题目吧.

前两条有日本客人来访,想在大连吃顿便饭,就领他去了一家过桥米线.自然,免不了介绍一下米线的典故.大家不妨一试.(中文大意如下)

在滇西的蒙自城,有位秀才,为求清净,便在一个湖心小岛苦读,他的一日三餐都由妻子送到岛上。由于小岛离家太远,饭菜送到后都凉了。一日,妻子做了米线,煮了鸡汤,一并送到岛上。秀才吃时,就将米线放进汤里。由于鸡汤上盖着一层厚厚的油,减少了热量的散发,秀才吃上了热乎乎的米线。从此,妻子经常做这种米线,秀才也愈加苦读,最终考得功名,夫妻其乐融融。自此,妻子尽心为丈夫做米线的事传为一段佳话,由于送饭的必经之路是与小岛相连的一座小桥,这种米线就有了一个好听的名字--过桥米线。

http://news.xinhuanet.com/food/2005-03/25/content_2741013.htm

(在大连,不会有不知道过桥米线的朋友吧?)

#2 作者:孝文师 2007-11-23 22:45:00)


你怎么给日本人解释的,发上来大家共同讨论啊
#3 作者:bitoc 2007-11-24 11:43:00)


个人的观点,翻译的问题,尤其是临场口译,其实是最没有标准答案的。也不是什么国际性大会,熟人之间,能够做到 基本上通顺(大体上把内容说明清楚,没有误解),就足够了吧?

可是感觉大家对于翻译的认识很容易走入一个误区,就是 过于追求完美(所谓信雅达,其实是书面翻译的最高要求吧?),导致临场过于在意措辞的准确性,反而不美。欢迎讨论。

我自己当时的翻译,事后想来也是漏洞百出的,但是基本上相信客人是理解透彻了;在此主要是想听听大家的意见啊。

#4 作者:孝文师 2007-11-25 11:16:00)


口译确实不需要考虑太多,翻译讲究多一些。好像没人肯第一个,那我就随便翻翻,权当抛砖引玉吧。

昔々中国雲南省のある町に一人の秀才がいました。誰にも邪魔されないように、湖の中心の孤島で科挙試験のため猛勉強していました。一日三食も奥さんに持ってきてもらいました。島が家からあまりに離れていたので、届いたときはすでに冷めてしまいました。そんなある日、奥さんは米線ととりスープを作って島に持って行きました。秀才は米線をスープの中に入れて食べました。スープの上に厚い油がかぶっていたために、保温効果が得られました。おかげで、秀才はあつあつの米線が食べられました。あれから、奥さんはよくそのような米線を作るようになり、秀才もよりいっそう勉学に励んだすえに、やっと科挙試験に合格できました。二人は幸せに暮らしていました。このことは世間一般に知れて、米線もいい名前が付きました。(食事を島まで届けるには通らなければならない小さな橋があるので、橋渡り米線という名前がつけられました。)

ご意見をお聞かせください。

#5 作者:suzumenoko 2007-11-25 14:16:00)


  

 昔、雲南省のある町に一人の男がおりました。

 

 科挙試験を受けるために、ある湖の真ん中小さな島に一人籠(こ)もって、勉学に励んでいました。

3度の食事も妻に持ってこさせるほどです。ところが、島は家から遠いところにあるので、男が食べる

頃には、おかずはいつも冷めてしまっていました。

 

 ある日、妻が米線と鳥のスープを一緒に持ってきました。男は米線をスープの中に入れて食べました。

すると、上に厚い油の層が出来ていたためスープは熱いままで、熱々の米線を食べることができました。

それから妻はしばしばスープと米線を一緒に持ってくるようになりました。男はいっそう勉学に励み、

とうとう試験に合格し、夫婦は幸せに暮らしたということです。

 

 やがて、妻が夫のために作ったという米線の料理は人々の評判になり、食事を運ぶ途中通ったという

橋に因(ちな)んで、「過橋米線」と名づけられました。

 

参考まで。

[此贴子已经被作者于2007-11-25 14:18:35编辑过]
#6 作者:bitoc 2007-11-25 15:14:00)


マイセン(米線)は雲南料理です。昔、あるお金持ちのお嬢様が貧乏な農夫のお嫁になりました。農夫である主人は畑に働く合間に功名のために勉強しますので家に帰られないため、妻に弁当を畑まで持ってきてもらっている毎日でした。ある日、妻は途中に橋を渡るとき不注意で滑ってしまって、本来はお弁当と盛り分けていたスープを弁当にこぼして、まぜってしまいました。主人はそれを食べて、以外にこれがおいしいと味わいましたので、それからマイセンという料理が伝わってきたのです。

当时我吭吭哧哧的翻译,不怕贻笑大方,原原本本记录下来,大体上如上所述.随后还接着闲聊当今年轻人一边吃着米线,一边感慨自己何时能遇到这样的勤奋有出息的老公或者贤惠的老婆......

#7 作者:suzumenoko 2007-11-25 17:23:00)


 

料理名の由来となった伝説に、いくつかのバリエーションがあるわけですね。

bitocさんは、正確な訳でなくて、そのバリエーションを知りたかったのでしょうか?

bitocさんの話の方がなんとなく素朴で滑稽な感じもあって、好感が持てます。

どちらにしても、勤勉な夫と内助の功で夫を支える妻という、理想的な夫婦の話だと思いました。

いつか機会があったら、過橋米線を食べてみたいです。

 

[此贴子已经被作者于2007-11-25 17:24:16编辑过]
#8 作者:bitoc 2007-11-26 12:42:00)


诚如楼上所言,我当时的说明(不能算“翻译”),是我记忆中的一个版本+少许的自由发挥了。典型的中国传说,才子佳人的故事嘛。日本好像是不怎么有这样的故事的吧?

〉いつか機会があったら、過橋米線を食べてみたいです。

一定要去哦。大连米线店很多的。(嗬嗬,不特意作广告了)

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