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2004年10月20日の「天声人語」

作者:ebitama 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-11-5 10:36:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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 自分の名前を間違えられて、不快に思う人とあまり気にしない人がいる。高名な哲学者の名前のつづりを間違えて書いてしまい、冷や汗をかいたことがあった。後に謝罪すると、彼は「よくあること」といったふうに穏やかに応対してくれた。

自己的名字被人搞错时,会有感到不愉快的人和并不怎么介意这样二种人。曾有人将著名哲学家的名字拼错而吓得直冒冷汗的事情,后来在向他道歉时他却平静地说“这是常有的事。”

 先日、74歳で亡くなったフランスの哲学者ジャック・デリダ氏である。インタビュー記事でジャックを英語風に表記したのだが、もちろんフランス語であるべきだった。彼の本名が、ジャッキーというアメリカ風だったことを後日知り、複雑な思いにとらわれもした。

这里说的就是于日前去逝的74岁的法国哲学家杰克斯·德里达。虽然在采访报道中是用英语风格来拼写其名字的,不用说理应用法语来拼的。他的真名叫杰克,这一美国风格的名字是在事后才得知的,这不觉令我陷于复杂的思绪当中。

 20世紀後半、最も影響力の大きい哲学者のひとりだった。彼の哲学がなぜあれほどもてはやされたか。死後、しばしば考える。著書の難解さにもかかわらず、意外に平易な「処世訓」に焼き直すことができるのも一因か、と門外漢は勝手に思う。

20世纪后半期,他曾是最具影响力的大哲学家之一。在他死后我屡屡思考,他的哲学为何那么受人赞赏呢?门外汉都这么认为,尽管他的著作难于理解,但他能对十分简单明了的“处世格言”作改编或许是其原因之一吧。

 たとえば誰かが「誤解を恐れずにいえば……」と気色ばんで発言する。デリダなら「すべては誤解の上にある」とかわすだろう。正統な解釈、確固とした真実などない、という前提から彼は考え始める。

例如有人沉着脸这样发言“假如说不怕误解的话……”。要是德里达就会把这句话换成“全部都是在误解之上”吧。他思考问题的前提是“正统的解释、不可动摇的真实等是不存在的。”

 あるいは「見るべきほどのことは見つ」と人生を振り返るとする。デリダは、人類はすべてのことを見尽くし、考え尽くしたという前提から出発する。哲学者は何か新しい知見を加えるのではなく、思考の文脈をずらすことしかできない、と。

或者把“该看的就看”作为人生回顾。德里达是以“人类看尽了世间万物,想尽了世间万物”这样的前提出发的。他认为哲学家不是给予什么新的智慧,只能是够换一个角度思考问题罢了。

 このごろ本屋で哲学書をよく見かける。不安定さを増す世界で、よりどころを求める気持ちが強まっているのか。誤解を恐れずにいえば、「誤読を恐れるな」がデリダ風の哲学の勧めである。

近来在书店里常看到哲学书。在不安定因素不断增加的这个世界上,或许是追根寻源心态愈加强烈的缘故吧。假如说不怕误解的话,则“别怕误读”就是德里达风格的哲学之所荐。

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ジャック・デリダ(杰克斯·德里达)

ジャック・デリダJacques Derrida, 1930年7月15日 - 2004年10月8日)は、アルジェリア出身のフランスユダヤ哲学者高等師範学校 Ecole Normale Superieure 卒。

一般にポスト構造主義の代表的哲学者と目され、脱構築散種グラマトロジー差延等の概念を生み出した。フッサール現象学から出発し(修士論文は『フッサール現象学における発生の問題』)、フッサールの『幾何学の起源』に長大な序文をつけ注目を集める。ニーチェハイデッガーを批判的に発展させた。

サールとの論争やハーバーマスガダマーとの論争でも知られている。ハーバーマスとは911テロ後共闘。脱構築は哲学だけにとどまらず、文学理論法哲学等に影響を与えている。

日本における代表的なデリダ研究者として高橋哲哉鵜飼哲などがいる

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