打印本文 关闭窗口 |
2007年10月29日「天声人语」中日对照
|
作者:阿晓 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2007-11-15 8:52:50 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
|
论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=156726&page=1 ▼新築の高値もあってか、中古マンションの取引が活況だという。わが集合住宅の郵便受けにも「売り物件求む」のチラシが絶えない。中の一枚を、腹立ち紛れに手元に残してある。 可能是因为新房价格太高,二手房交易盛况空前。在我居住的小区,邮箱里总是不断有“寻求卖主”的小广告。我手里有一张让人一时很气愤。 ▼東京の高級住宅地に暮らす会社経営者が、結婚を控えた息子のために3LDKを探しているらしい。「室内は息子夫婦の好みで改装」「会社名義での購入も検討中」とある。子の門出に何かしてやりたいのは親心だが、新居まで買い与えるのは甘やかし過ぎではないか。 这张广告好像是居住在东京高级小区的公司老板在为要结婚的儿子寻找3LD的房子。广告说“室内要按儿子夫妇的喜好进行装修”“也正在研究以公司的名义购买”。当父母的谁都想为孩子走向新的生活而做点什么,但是,连新房都给买好了,这是不是娇惯得过了头呢? ▼ひとしきり叩(たた)かれたボクシング一家も、同じ思い違いをしていたようだ。お父さんは弱い対戦相手を選び、息子たちに勝ち星を与え続けたと聞く。揚げ句に、次男は世界戦でまとめて恥をかいた。「父離れ」からの再出発となる。 一段时间曾被舆论所谴责的拳击一家也好像是犯了同样的错误。父亲挑选能力差的比赛对手,让儿子连续获胜。结果二儿子在世界杯上出了大丑,只好“离开父亲”重新开始。 ▼子を虐げる親、親をあやめる子の悲報に接し、「愛」があるだけ過保護のほうがマシなのかと、自問する。だが、教師や学校に無理難題をふっかける「モンスター親」のように、ゆがんだ愛は社会悪にも転じうる。 我每当听到虐待孩子的父母、杀死父母的孩子之类的悲剧,我就想:光给予“爱”,过分娇生惯养还算是好的吧。然而,像给老师和学校找茬出难题无理取闹的“怪兽父母”那样的扭曲的爱,可能也会转化成社会弊病。 ▼東京都立川市の家族問題カウンセラー、坂田雅彦さんに聞いてみた。「ここ2年ぐらい、溺愛(できあい)型の親が目立つ。地域や人間関係で孤独な人ほど、わが子に愛を集中しがちだ。子どもはいずれ自立しなければならないのに、それを妨げる溺愛は虐待と紙一重です」。 我咨询过东京都立川市家庭问题研究中心的坂田雅彦先生。他说:“这两年来溺爱型的父母很明显。越是因地区和人际关系而孤独的人,越是容易把爱都倾注到自己孩子的身上。孩子总有一天必须要自立的,但溺爱却阻碍了孩子的自立,它与虐待只是一纸之隔”。 ▼過ぎた関与は、子どもをゆっくりだめにする。無償かつ無限大とされる親の愛を、賢く抑えるのは楽じゃない。はやる助け舟を岸にくくりつけ、わが子の苦闘を見守る。親ゆえの辛(つら)さだし、腕の見せどころでもあろう。 过分的干预,慢慢地将孩子变成废人。适当地控制无偿且无限的父母爱,并非易事。应该把令你心焦的救生船绑在岸边,来观望着你孩子自己的苦苦挣扎。做父母的一定很难过,但也正是显示父母本领的时候吧。
|
打印本文 关闭窗口 |