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《舞舞舞》1

作者:贯通日本… 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2007-11-11 16:49:15 文章录入:阿汝 责任编辑:阿汝

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Pages :[1]  共 1 楼
#1 作者:youmars 2005-1-29 16:02:00)

舞舞舞1

1988村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」講談社

よくいるかホテルの夢を見る。

夢の中で僕はそこに含まれている。つまり、ある種の継続的状況として僕はそこに含まれている。夢は明らかにそういう継続性を提示している。夢の中ではいるかホテルの形は歪められている。とても細長いのだ。あまりに細長いので、それはホテルというよりは屋根のついた長い橋みたいにみえる。その橋は太古から宇宙の終局まで細長く延びている。そして僕はそこに含まれている。そこでは誰かが涙を流している。僕の為に涙を流しているのだ。

ホテルそのものが僕を含んでいる。僕はその鼓動や温もりをはっきりと感じることができる。僕は、夢の中では、そのホテルの一部である。

そういう夢だ。

目が覚める。ここはどこだ?と僕は考える。考えるだけではなく実際に口に出して自分自身にそう問いかける。 「ここはどこだ?」と。でもそれは無意味な質問だ。問いかけるまでもなく、答えは始めからわかっている。ここは僕の人生なのだ。僕の生活。僕という現実存在の付属物。特に認めた覚えもないのにいつの間にか僕の属性として存在するようになったいくつかの事柄、事物、状況。隣に女が眠っていることもある。でも大抵は一人。部屋の真向かいを走る高速道路のうなりと、枕もとのグラス(底に五ミリほどウィスキーが残っている)と、敵意をもったーーいや、それは単なる無関心さなんだろうかーー塵だらけの朝の光。時には雨が降っている。雨が降っていると、僕はそのままベッドの中でぼんやりとしている。グラスにウィスキーが残っていれば、それを飲む。そして軒から落ちる雨垂れを眺めながら、いるかホテルのことを考える。手脚をゆっくりと伸ばしてみる。そして自分がただの自分であり、何処にも含まれてなんかいないことを確かめる。僕は何処にも含まれてはいない。でも夢の中の感触を僕はまだ覚えている。そこでは僕が手を伸ばそうとすれば、それに呼応して僕を含んだ全体像が動く。水を利用した細かい仕掛けのからくりのように、ひとつひとつゆっくりと注意深く、段階ごとにほんの微かな音を立てながら、それは順番に反応していく。僕が耳を澄ませれば、それが進行していく方向を聞き取ることができる。僕は耳を澄ます。そして誰かの静かな啜り泣きの声を聞き取る。とても静かな声。闇の奥の何処かから聞こえてくる啜り泣き。誰かが僕のために泣いているのだ。

いるかホテルは現実に存在するホテルだ。札幌の街のあまりぱっとしない一角にある。僕は何年か前にそこに一週間ばかり泊まったことがある。いや、きちんと思いだそう。はっきりとさせておこう。あれは何年前だ?四年前。いや、正確に言うと四年半前だ。僕はその時はまだ二十代だった。僕はある女の子と二人でそのホテルに泊まった。彼女がそのホテルを選んだ。そのホテルに泊まろうと彼女が言ったのだ。そのホテルに泊まらなくては、と彼女は言ったのだ。もし彼女が要求しなかったら、僕はいるかホテルになんてまず泊まらなかっただろうと思う。

それは小さなみすぼらしいホテルで、僕らのほかには泊まり客の姿は殆ど見あたらなかった。僕がその一週間の滞在中にロビーで見掛けた客は二人か三人かそれくらいだったし、それだって泊まり客なのかどうかわかったものではない。でもフロントのボードに掛かった鍵がところどころ欠けていたから、僕らの他にも泊まり客はいたはずだと思う。それほど多くないにしても、少しくらいは。幾らなんでも仮にも大都市の一角にホテルの看板を掲げ、職業別電話帳にだってちゃんと番号が出ているのだ、まったく客が来ないということは常識的に考えてありえない。しかしもし僕らの他に客がいたとしても、彼らはおそろしく物静かでシャイな人々だったはずだ。僕らは彼らの姿を殆ど見掛けなかったし、その物音も聞かなかったし、気配も感じなかった。ボードの上の鍵の配置だけが毎日少しずつ変わった。彼らは息をひそめたぶん薄い影のように壁を這って廊下を行き来していたのだろう。ときどきかたかたかたかたというエレベーターの走行音が遠慮がちに響いたが、その音が止むと、沈黙は前よりかえって重くなったように感じられた。

とにかく不思議なホテルだった。

それは僕に生物進化の行き止まりのようなものを連想させた。遺伝子的後退。間違えた方向に進んだまま後戻りできなくなった奇形生物。進化のベクトルが消滅して、歴史の薄明の中にあてもなく立ちすくんでいる孤児的生物。時の溺れ谷。それは誰のせいでもない。誰が悪いというわけでもないし、誰にそれが救えるというものでもない。まずだいいちに彼らはそこにホテルを作るべきではなかったのだ。あやまちはまずそこから始まっていた。第一歩から、全てが間違っていた。最初のボタンがかけ違えられ、それにあわせて全てが 致命的に混乱していた。混乱を正そうとする試みはあらたな細かいーー洗練されているとは言えない、ただ細かいだけだーー混乱を生み出した。そしてその結果、何もかもが少しずつ歪んで見えた。そこにある何かをじっと見ようとすると、ごく自然に首が何度か傾いてしまうのだ。そのような歪み。傾けるといってもほんの僅かの角度だから特に実害はないし、べつに不自然さを感じるほどでもないし、ずっとそこにいればそれに馴れてしまうのかもしれないが、やはりいささか気になる歪み(それにそんなものに馴れてしまったら、今度はまともな世界を見る時に首を傾けることにもなりかねない)。

いるかホテルはそういうホテルだった。そしてそれがまともじゃないということはーーそのホテルが混乱に混乱を重ねた末に飽和点に達して、やがて遠からぬ将来に時の大渦にすっぽりと飲み込まれていくであろうことはーー誰が見たって一目瞭然だった。哀しげなホテルだった。十二月の雨に濡れた三本脚の黒犬みたいに哀しげだった。もちろん哀しげなホテルなんて世間には他にもいっぱいあるだろうが、いるかポテルはそういうのともまた少し違う。いるかホテルはもっと概念的に哀しげなのだ。だから余計に哀しい。

言うまでもないことだとは思うけれど、そんなホテルをえらんでわざわざ泊まろうなどという人間は、何も知らずに間違えてやってくる客を除けば、そんなにはいない。

いるかホテルというのは正式な名称ではない。正式にはそれは「ドルフィン・ホテル」
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