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2007年10月20日の「天声人語」

作者:bitoc 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2007-10-23 14:35:31 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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三陸沖の秋の味、戻り鰹(がつお)の漁がようやく最盛期を迎えた。まるまる太った紡錘形が続々と水揚げされている。夏を過ごす北方の海域が、今年は暖かかった。ついつい長居をしたとみえ、南下が遅れていた▼
回游的金枪鱼乃是三陆冲(渔场)之秋的一道美味,终于又到了捕捞旺季。滚圆滚圆肥嘟嘟的形如纺锤的(金枪鱼),陆续从渔船上被卸下来。作为(金枪鱼)避暑胜地的北方海域,今年暖和得很。看样子是不知不觉就(在北方海域)呆了很长时间,这才姗姗南下。

青葉のころ、黒潮にのって北上する。それが初鰹で、風薫る季節の小気味いい食感が愛されてきた。だが、脂の乗りは、北の海でたっぷり餌を食べた戻り鰹がまさっている。もっぱら通に好まれる地味な存在だったが、最近は初鰹をしのぐ人気らしい▼
入夏时节随黑潮北上的初期金枪鱼(“初鲣”),吃起来的时候有初夏季节的特有风味,受到人们的喜爱。然而要论鱼香肉美的话,终究还是在北方海域喂饱了饵料的回游金枪鱼略胜一筹。一度只是少数品味独特的食客(?)所喜欢的地方土产,最近却广为人知,颇有盖过初鲣的势头了。

魚博士で知られた末広恭雄さんによれば、鰹が珍重されるのは鎌倉時代からだ。だが鰹ぎらいもいた。『徒然草』の兼好法師も、その一人だったとみえる。こんな魚が上流階級の食卓にのぼるようでは世も末だ、と手厳しくやっつけている▼
根据知名的“鱼博士”末广恭雄先生的说法,金枪鱼之受到珍爱,自从镰仓时代就开始了。当然也有人不喜欢金枪鱼的,《徒然草》的作者兼好法师看来就是其中的一员。他毫不留情地讽刺说:“连这种鱼也上了上流阶层的餐桌的话,只怕是世界末日到了”。

当節、鰹にかぎらず、魚が食卓にのぼる機会は減っている。今年発表の水産白書によれば「かつてない魚離れ」が起きている。「料理が面倒だから」が理由のひとつだ。ほかにも、まな板がくさくなる、いやな匂(にお)いが部屋にこもる…。魚にさわれない若い人もいるそうだ▼
而今何止是金枪鱼,任何鱼类登上餐桌的机会都在减少。根据今年公布的水产白皮书,“前所未有的远离鱼类(现象)”正在发生。“制作起来费事”就是理由之一。此外还有,砧板沾上鱼腥,厨房充满鱼臭(,等等理由不一而足)。据说甚至有些年轻人根本就碰不到鱼(没有机会?还是,不肯碰鱼?)。

うろこを落として、腹を割く。魚料理はたしかに、ほかの料理より生々しい。〈刺す焙(あぶ)る殺す吐かせる削(そ)ぐ締める荒事ならで厨(くりや)の言葉〉(久々湊盈子(くくみなと・えいこ))。他の命をいただいて生きる。殺生の手ざわりを、一番自覚する家庭料理かもしれない▼
除鳞,剖肚,与做其他菜相比,做起鱼来确实血淋淋的。“(针)扎,(火)烤,(刀)杀,催吐(想办法让鱼把肚中的泥水呕吐出来),剁块,收紧(鱼块上面浇点醋可以使鱼肉紧绷从而口感更好)——荒事(日本曲艺狂言之一种)特有的台词,却出自厨师之口”(久久凑盈子)。(人类)牺牲了别的生物的生命,换取了自己的存活。对于杀生的印象最有切身体会的,也许就是居家做菜(的场面)了吧。

旬を迎えた戻り鰹をまるごと買えば、刺し身に塩辛、アラ汁と余すところは少ない。さて週末。命をいただくありがたさに思いをいたし、秋の幸を満喫するもいい。
整条地买了适逢旺季的回游金枪鱼,就可以做生鱼片,还有用来下酒的鱼杂以及鲜美的鱼汤,不胜枚举。适逢周末,谨怀“杀生存活”的感恩之心,品尝秋天收获的美味佳肴,也算不错了。

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