打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

2007年10月08日の「天声人語」

作者:丫头 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2007-10-12 8:04:28 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

论坛讨论地址:

http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=154691&page=1

 「今まで子どもの空に包まれていたものは、じぶんたちの世界の半分にすぎなかったのです」。ドイツの児童文学『ふたりのロッテ』(岩波書店、高橋健二訳)の一節。別れた両親に一人ずつ引き取られた双子が、偶然出会って姉妹だと確信し、親のよりを戻そうとする物語だ。

 
“至今孩子们的天空里包围着的,只不过是自己世界的一半而已“。这是德国儿童文学《两个小罗特》(岩波书店,高桥健二译)中的一节。讲述的是一对被离异父母各自带走的双胞胎,偶然相遇后确信是姐妹,想让父母破镜重圆的故事。


 人種にもよるが、双子は出産100回にほぼ1組とされる。二つの人生はもつれながら次第に離れ、それぞれの終着を迎える。ロッテとルイーゼのように9歳で重なる人生もあれば、7歳で離れるそれもある。

 
根据人种有所不同,通常双胞胎的出生机率为每100个婴儿中有1对。2个相互纠葛的人生被渐渐分开,迎接各自不同的归属。有的像罗特和路易一样在9岁时重逢,也有的在7岁时才分开。


 下半身がつながって生まれたベトナムの双生児は、88年の分離手術でベトちゃん「と」ドクちゃんになった。一昨日、兄のベトさんが亡くなった。分離前から脳を患い、26年の生涯はベッドの上だった。

 
出生时就是下半身连体的越南双胞胎婴儿,88年接受分体手术后成为小比特“和”小多格。前天,哥哥比特离开了人世。他在分体手术前就患上脑病,26年生命都在床上度过。


 弟のドクさんは右足一本ながら、松葉づえで社会生活を送る。病院で働き、昨年12月には結婚もした。きのう営まれたベトさんの葬儀では「兄が私にくれた人生を精いっぱい生きてゆく」と語った。

 
弟弟多格虽然只有一条右腿,却也靠着拐杖立足于社会。他现在医院就职,并在去年12月结婚了。在昨天比特的葬礼上,他说“我会努力过好哥哥给我的人生”。


 ベトナム戦争で、米軍は大量の枯れ葉剤を空中散布した。ゲリラが潜む密林と食料源を根絶やしにするためだ。薬剤には猛毒のダイオキシンが含まれ、生まれ来る「子どもの空」を今も覆っている。ベトさんたちは被害の生き証人だった。

 
越南战争时,美军为切断游击队的藏身之处和食物来源,在空中播撒大量枯叶剂。药剂中含有的剧毒成份二亚英,至今仍笼罩在未来“孩子们的天空”。比特兄弟曾是受害的活证人。


 体温と痛みを共有した兄弟も、人生は「等分」とはいかなかった。弟は各国で講演し、枯れ葉剤の非道を訴える。兄は同じことを、病床から無言で発信し続けた。ただ生き延びて、身をもって告発する。余人にできない重い務めを立派に果たした。

 
有过同样体温和痛楚的兄弟,却也未能“等分”人生。弟弟在各国讲演,声诉枯叶剂的非人道残害。哥哥于病床上,无声地控诉着同样的事实。只要活着,就坚持以身揭告。他们出色得完成了旁人无法承担的重任。

 

[1] [2] [下一页]



打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口