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2007年09月14日の「天声人語」

作者:nandeziz… 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2007-10-11 20:04:21 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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6年で七曜をひと巡りし、今年の「9・11」は火曜日に戻ってきた。タワー2本が100分で消えたニューヨークのテロ現場は、雨になった。追悼式の遺族の輪に、山口県下関市の中村佑(たすく)さん、静美(きよみ)さん夫妻がいた。

  6年来月转星移,今年的“9.11”又回到了星期二。这一天,那两座塔楼在100分钟之内就消失了的纽约恐怖袭 击现场是个雨天。山口县下关市的中村佑中村静美夫妇俩也加入了出席追悼仪式的遗属行列中。

 次男の匠也(たくや)さんは地方銀行の駐在員だった。骨のかけらも見つからなかったが、最初の旅客機が突っ込んだ北棟102階に出勤していたはずだ。享年30。新婚の妻が残された。

  他们的次子 中村匠也 曾是地方银行驻美职员。至今没有找到儿子的半块儿遗骨,而匠也当初应该已在第一架客机撞进的北楼102层里上班。匠也享年30岁,并留下了新婚娇妻。

 両親は絵を手向けた。米国に赴任した息子が、最後の母の日に贈ったバラ。庭で挿し木にしたものが根づき、毎年、薄赤の花が咲く。それを静美さんが和紙に描いた。「感情が乱されるから」と、夫妻は息子の名が読み上げられる前に式を後にした。

  追悼仪式上,匠也的父母手捧着一幅画。画上是那支儿子在赴美出差前最后一个母亲节里送给妈妈 的玫瑰花。插种在院子里的玫瑰花,生根活了下来,并且每年都绽开谈红色的花朵。静美妈妈在日式宣纸上画下了那朵玫瑰花。中村夫妇在还没有宣读到儿子名字时就离开了追悼会现场,说是“因为我们(听到儿子的名字)会伤心错乱的。”

 佑さんは「あれから世界はウニのようにとげとげしくなるばかりです。日本も巻き込まれ、よからぬ方に傾いている」と語る。涙で見た景色は再開発で消えていくが、それで区切りがつくものでもない。実行犯への憎しみから、より大きな平和へと、遺族の心の旅は続く。

  中村佑表示“自从恐怖袭 击 事 件发生后,世界形势就像(长满了硬刺儿的)海栗一样越来越变得尖锐而不和谐了。日本也被卷了进去,朝不良的方向倾斜着。”当初泪眼相望的景致因再度开发而消失殆尽,然而人们内心的感受不会因此而有了了结。遗属们的心路旅程,已由当初对恐怖袭 击 事 件执行罪犯的憎恨,通向更加广阔的祈望和平之路。

 狂信者の身勝手で3000人が死に、狂信者を追う「聖戦」の中でその何十倍もの民が死ぬ。米大統領の対テロ戦争は、人類共栄の目的にかなうのか。理由なく殺される人を増やしただけではないか。

  狂热的教徒以其一己之理导致3000人丧命,而在驱逐狂热信徒的所谓“圣战”中更有几十倍于3000人的民众被夺去生命。美国总统对抗恐怖主义的战争真的能够达到人类共同繁荣的目的吗?难道不是在徒增无辜的牺牲吗?

 「9・11は国旗を振る日ではなく、和解を考える日にしたい」。遺族団体の創設者は武力に頼る政策を嘆いた。願いは式で歌われた「明日に架ける橋」の詞に重なる。〈暗闇が訪れ/痛みがあふれたら/荒れ狂う流れに架かる橋のように/僕がこの身をなげうつよ〉

  “要让9.11由摇国旗呐喊助战之日,变为摸索和平解决之时。”遗属团体的组织者如此表示对诉诸武力的政策的不满。在追悼仪式上咏唱的歌声表达了人们的心愿。——♪黑暗袭来 胸中溢满痛楚之际 像横架在惊涛骇浪上的桥梁 我愿随时挺身而出♪♪

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