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凜烈(りんれつ)な作風で知られた小説家立原正秋が、筆名について書いていた。ほとんどの郵便はペンネームで来るが、まれに本名で届くものがある。本名をしげしげと眺め、「これは一体誰なのか」と妙な気分になる。そんな内容だったと記憶する。 以凛烈风格而闻名的小说家立原正秋,曾写过有关笔名的文章:收到的信件大部分都写笔名,偶尔收到写本名的;久久凝视自己的本名,会很奇怪地想『这人到底是谁?』。记得有这样的内容。
似た気分を、モンゴル人のドルゴルスレン・ダグワドルジも味わっているのかもしれない。「朝青龍」なるしこ名を眺め、「これは一体誰なのか」と。謹慎の様子はうかがい知れない。だが日を重ねるほど、彼の心の中で、本名の嵩(かさ)が増しているように思われる。 类似的心情,蒙古人高尔斯仁·达格瓦道尔吉说不定也有体会。凝视「朝青龙」这个别号,问『这到底是谁?』。谨慎的样子不可窥知,但看来,本名在他的心中的地位与日俱增。
きびしい状況への配慮だろう。日本相撲協会は横綱の帰国を認めた。早ければ今日にも発(た)つ。帰ったきり、二度と「朝青龍」には戻らない可能性も、なくはないらしい。ここまでこじれた責任の一端は、丁寧な意思疎通を欠いた師匠と協会にもあろう。 也许是对严峻情况的担心吧,日本相扑协会同意了朝青龙横纲的回国。早的话也许今天就会出发。一旦回国(回蒙古),再做为『朝青龙』回来的可能也不是没有。形势恶化到如今的地步,责任的另一方面,也在于师父和协会之间缺乏慎重周到的沟通吧。
この世界で師匠といえば、実の親も同然と聞く。横綱審議会委員だった作家の舟橋聖一が、双葉山父子を回想している。双葉山は幼い時、友達の吹き矢が当たって右の目を失明した。父親は、だれが矢を吹いたのか知っていながら、死ぬまで口を閉ざし続けたという。 在这个世界说到师父,听来就和亲生父母一样。曾经是横纲审议会委员的作家舟桥圣一回想起双叶山父子。双叶山年幼时,朋友吹出的箭击中右眼导致失明。据说他父亲知道箭是谁吹的,却到死都守口如瓶。
恨まれる者より、恨む本人にとってどれだけマイナスになるか。分別を踏まえた深い愛情のゆえだった、と作家は書いている(『片目の横綱双葉山』)。 比起被憎恨的人,对怀恨在心的人而言,会有多么不利?做到这一点,正是由于深厚感情中包容了差异的缘故--作者如是写道(『独眼横纲双叶山』)。
この父親にして、品高き名力士ありだろう。双葉山も隻眼のハンディを秘したまま、無敵の相撲を取り続けた。鑑(かがみ)もあれば不出来な親子もあるとは知りつつ、騒動の口直しに紹介してみたくなった。
这个父亲,是德高望重的名力士。双叶山对独眼的不利条件秘而不宣,继续着无敌的相扑之路。虽然知道既有可作榜样之人,也有不象样的父子,但在这风潮的变幻之际,我也忍不住想说上几句。
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