「ようだ」と「らしい」
『日本語初歩』という教科書の第28課に、「だいぶよくなったようです。しかし、まだふつうの食事は食べられないらしいです。」という文があります。ここでは「ようです」と「らしいです」を置き換えて言うことができますが、置き換えられない場合も多いです。ヨウダとラシイの違いは何なのでしょうか。 類意表現について考える時には、片方しか使えない場合(意味の重なり合わない部分)について考えてみるのが大事です。 まず、ヨウダしか使えないのは、「今日は顔色が悪いようだね」「このエアコンの方が音が小さいようだ」のように、目や耳などの感覚でとらえた様子を言う時です。そのように見えている(感じている)のに、はっきり言い切らない言い方です。会社で電話を受けた時に「係長は席をはずしているようです」と言うのも、席に係長がいないことは見えているのですが、やわらかく表現するために、ヨウダを使っているのです。 ヨウダは、「そのように感じられる」という意味ですから、事実としてそれが正しいかどうかは、あまり関係がありません。たとえば、「あの人はまるで泣いているようだ」のように「まるで」を付けると、笑いすぎて涙を流しているような状態を言う表現になります。つまり、事実は反対であっても、とにかくそのような様子であれば、ヨウダが使えるのです。 一方、ラシイは、「事実としてそう考えられる」と話し手が思っている時に使います。「あの人は泣いているらしい」と言えば、誰かから聞いたか、実際に見たか、とにかく事実として泣いているのだ、という判断を話し手が下していることになります。また、「新聞によると、被害者は百人以上らしい」「あの人が言っていた。今日は欠席するらしい」等、もとになる情報が言語情報である時の表現は、それがおそらく事実だという話し手の判断を加えて他の人に伝える伝聞表現で、そのようなラシイは、今度は、ヨウダよりむしろソウダに近い意味になります。 簡単にまとめると、ヨウダは様子(様態)、ラシイは事実に着目した表現であるということになります。 「どこかで拾ってきたような靴をはいている」と「どこかで拾ってきたらしい靴をはいている」の意味の違いが、はっきり分かるようになれば、<その日本語学習者は>ヨウダとラシイについては合格と言えます。
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